>観る人、読む人に幸福感を与えるものは、残念ながら作品ではない、あるいは、失敗した作品だと思います。これを証明するのはむずかしいですが、たぶんそうだろうと思っています。
Mさんの
「地下鉄にて」と題された記事コメント中の言葉である。
フと私の先生の言葉を思い出した。
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- 2008/06/27(金) 01:03:58|
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ここで仮に「意識」を「心」と置き換えるなら、東洋では「心身不二」あるいは「心身一如」と古くから言われていることに近いのだが、通常は「身体の意識化」は拡大方向には進まず、むしろ「意識の身体化」とでもいうべき現象の方が圧倒的に身近だ。
例を挙げるなら正座の際に何かに熱中していて”気付いたら”足が痺れていた、というのが典型だろう。このとき、意識が身体にくまなく行き渡っているならば”気付いたら”という事態は生じ得ない。全身に行き渡った意識により、痺れていく様など隈なく気付いているのはずだからだ。
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- 2008/01/23(水) 17:46:11|
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少年ジャンプには「三大原則」があるのだそうで、曰く「友情、努力、勝利」なのだそうだ。
デスノート(D/N)は「名前を書かれただけで死ぬ」という死神ノートの設定というか発想自体にも強い批判があったようだが、一方でジャンプとしては(?)その「三大原則」的にも課題があったようだ。
夜神月が最後に死ぬという設定は、読めば分かるが編集側の要請であったらしい。
どうりで無理があり過ぎるわけだ。
せっかくのLvsキラの読み合いの面白さも最後でドテンと落とされた感じで納得いかん。
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- 2007/02/05(月) 16:40:15|
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普段、自由気儘に好き勝手させて頂いてる父親(?)としては娘の誕生日くらいは望み通りに、と普通に想う。
もう一週間も前だろうか?私としては、どうにも気が進まないその店を娘は指定した。
入る前から予感は、ほぼ的中。いつ壊れたのか分からない駐車場のゲート、コンセントも入れられていないまま放置されたままの立て看板・・・
それでも不機嫌な顔は・・・と想いながらも店内に入っても、まばらな客に増して店員が見つからない。
(来ちゃったよ、まったく)
いかに笑顔で猫撫で声を出しても考えてることは想像がつく。
案内するでもなく、空席の間を我々を無視して通り過ぎながらカウンター奥へ。
勝手に空いてるところに座って下さい、ということか。
お決まりのように大声で呼んで初めてオーダー。
フリーのドリンク・バーに行けば空きグラスのないケースがドン・・・
籠の中のスプーンは磨きが甘くて汚れっぱなし、頼んだビールは一向に来る気配はなく、適当に洗浄後のスプーンを撫でながらウェイトレスらしき女性と談笑に夢中の男性、そちらの方が大事とばかりに客から見え難い角度にいる女性、話から外れて所在無くあらぬ方を向いているもう一人のウェイトレス。
挙げ続ければキリがない。
外食中の店内で不機嫌な顔をすることは、まずない。
女房が顔をしかめるようなケースでも、曲がりなりにも外食産業で鍛えてきた自分としては店の状況からやむをえないと判断すれば、すぐに諦める。
だから、私の不機嫌に一番に気付いたのは女房だった。
それでも我慢に我慢を重ねた。
よ〜やくに頼んだハンバーグが来た時だ。
温い鉄板に形ばかりに乗せたもの、どうせ冷凍モノを焼くだけの調理。
それが焦げるなど、あり得ないわけだが、あった。
さすがに焦げ側を底にして。
キレた。www
私が食事にケチを付けることなども、まずない。
幼少時、「おいしくない」と一言すれば、食事抜きが当たり前。
美味い不味いは二の次に胃袋に収める。
それが習慣になって、余程のゲテモノ以外なら美味い不味いを別にして無表情に食う。
必要なら「美味い」の一言も添えて。
・・・が、我慢の限界を超えた。
女房はそれを察知、子供を急かし、私も大方の子供の満足も得られたところで先に天外に出て煙草を吸っていた。
帰路、「あの店は、今後、絶対に行かない」という私に、当の娘が同意した。
あの店は遠からず潰れるだろうこと、潰れないとしても、それは儲かってなくても潰れない仕組みであること、そういう商売は身を危うくすること・・・などを子供にも分かるように丁寧に教えた。
こういう時、自分が商売をしていることは便利だ。
少し寂しい誕生日だったが、一つ、学ぶことが出来て良かった、とも言える。
洋菓子が本業の、そのレストラン。
今、その洋菓子で大問題を引き起こしている。
雪印事件の時の記憶が蘇る。
お歴々は自分の保身、行く末しか考えてはいないだろうが、その見えない先で、自分達の生活を掛け、必死に夫君の会社信頼復活のために家々を回っていた御夫人達が見えていただろうか?
いや、少し前なら彼女達も、そのレストランの従業員と大差なかったのかもしれない。
それは分からない。
うがって見ればタイムリーに過ぎるのだが、私の人生は吹く風次第のせいか、かような現象には度々遭遇する。
それにしても・・・・・。
なんとも言いようがない。
本当は、今日はデスノートについて書こうと想っていたのだが、それは後日。
「どうせ分からない」
そんな無理無体が通じ続けている企業もあるが、それが永遠だと想われては困るし永遠であっては欲しくない。
本年の厄落としにはなったのかな(苦笑)?
- 2007/01/12(金) 00:11:17|
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先日、お袋がバロックのCDを聞いていたので聞くともなしに聞いていると、結構、これが面白い。というか、ジャケットを見て「へぇ〜、これバロック時代のじゃん。」とミョーな感心をしてしまった。
以前、源博雅の笛譜の再現を試みたCDを聴いたときにも「あら?雅楽って、こんなだったのね・・・(@@;」と驚いたことがある。竜笛一本だったので和音の展開は置いておいても、メロディーの豊かさには驚いた。
最近では東儀さんという方を通じて雅楽はツマランばかりでもなさそーだ、ということを知ることが出来るわけだが、少し意味合いが違う「面白さ」だ。
[「追い越す」ということ]の続きを読む
- 2006/10/03(火) 11:55:50|
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当ブログも参加している人気ブログランキング(*現在、不参加)を上から訪問。
つらつらとブログを見させて頂きながら少し驚いた。
未だに癒し、安心・・・そういったジャンルの方が多く、また求められているらしい。
[癒されて、安心して、どこへ?]の続きを読む
- 2006/10/01(日) 11:00:40|
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なんとなく、今日は山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」のメロディーと歌詞が頭に浮かんで仕方なかった。
彼女が引退してから何年になるのだろう?
少し気になって歌詞を当たってみたら、この歌詞は「母宛」のようで少し驚きました。
私は、てっきり「父宛」だと勘違いしていたのです。
他の歌詞と勘違いしてるのでしょう。
先日、作詞作曲担当(笑)の「さだまさし」さんの歌うのを聴いたばかりだというのに。
[秋桜]の続きを読む
- 2006/09/27(水) 23:50:32|
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メダカやらヌマエビを飼ってる関係で、貝の処分を時折する。
厳密には貝は大きく二種類いて、サカマキガイとインドヒラマキガイである。
インドヒラマキガイは意外と高価でもあり、少々珍しかったりアルピノという色素に乏しい希少種が産まれたりで放置して飼ってるのだが、サカマキガイは扱いが異なる。
そもそも、ある種の貝というのは、よほど人間生活に馴染むらしく、ドブ川でもなんでも、その増殖度合いたるや物凄い。
一時期、原子炉の冷却水の吸込み口にクラゲが入ってきて敵わない、という記事が出たが、実際は貝の被害も酷い。
まぁ、酷さを列挙しても意味ないのだが、貝を処分しながら想った。
私が貝を処分するときには無作為抽出であって、処分、つまりや摘み出しやすいという一事だけで処分されていく。
奴らも逃げるという行動が見られるのだが、それには付き合ってはやれない。
しかし、もし、もしなのだが、
「オイ。オイラヲ何デ選ンデ処分スルンダ?」
と貝が問い掛けたら、どう応えよう?
神様よろしくスマシ顔で無視するのも一つではあるかもしれぬ。
が、どうもそういう心境にはなれそうにない気がする。
他は何も変わりはしない。
ただ、貝の問い掛けがあったら、の話である。
(初出:2006年01月27日)
- 2006/09/26(火) 23:10:59|
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