弥平の眼は動かなかった。動かせなかったのである。
座主の手の一方は脇息に、一方は腿に、不自然な自然さで置かれている。
対してより微動だにしない、その手が全てであった。
弥平の手も座主の一方の手と同じく腿にあるが、脂汗で腿と一体になったかのように張り付いている。
込み上げる震えを息で押さえ込むのが精一杯で、それでも大したものかもしれぬ。
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- 2006/09/29(金) 10:54:01|
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(ふん・・・斬れぬ剣ほど喋るものよ・・・)
如何ほどの場数を越えてきたことか、見つめる弥平の手は節太く、剣術家というよりも野良仕事に明け暮れたもののようである。
しかし、ろくに剣も握らぬままに御託だけは大層な名人の数々が、この野良手の下に呻いたのも事実である。
その自負こそが、数日後に脂汗に変じることになったわけだが・・・
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- 2006/09/29(金) 10:53:00|
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二階の部屋にしては足元は心地良く安定していた。
大小を部屋の奥側に横たえ、弥平は並んでゴロリと仰向けに天井を見つめた。
夜の準備を始めた階下の快活な様子が、僅かに開けてある襖の風に、早速に乗り行り始めてきた。
陽は既に大きく傾き、ピンと張られた障子も薄く朱色に染まり始めている。
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- 2006/09/29(金) 10:51:55|
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美しい砂州であった。
一粒一粒の砂が、ここ数日、強さを増してきている陽の光を受けて眩く、目に痛いほどである。
見渡せば簡素も過ぎるほどの亘り二間少々の小庭に座して、砂の美しさを楽しんでいた。
(これだけの間があれば十分・・・過ぎるであろうな)
諦観して苦笑する弥平も、座主の力量は既に承知している。
左傍らの木剣は、弥平の自作のものである。
荒んだ剣の交わりばかりに付き合わせてきた。
(こいつも佳きものが見れれば本望だろう)
つい数日前の立会いで付いた傷が目に入った。
平素の通り・・・のはずが、意外や腕の立つ者であった。
彼の立会いは、古の書画を楽しんだ剣豪のそれとは異なる。
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- 2006/09/29(金) 10:50:47|
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一晩は大人しくすることにした。
足を洗ううちにも日の暮れに急に辺りも暗くなり、すでに稽古を望むには遅過ぎると自制したこともある。
何よりも、多少の大言があっても、人の良さが滲み出る篠輔の笑顔が脳裏から離れなかった。
夕食を終えて一献入った篠輔は、弥平の話を聞くよりも、自らの剣術がいかに優れたものであるかをを巧みに話しに組み入れることに知恵を巡らせていた。
既に初老と言って差支えはない篠輔も大柄で、身の丈は優に六尺を超える弥平を見下ろすほどである。
袖まくりした腕は、さすがにそれなりの鍛錬を物語るが、弥平のそれとは違い、剣だけのための肉付きではない。
(強力のみで剣を語る、か。もっとも今の俺も大して変わらぬ身だが。)
弥平の唯一人の師は、子供のように小柄で非力な好々爺であったのである。
それでも、今の弥平にもやはり、師の剣の片鱗すら、見せる自信はなかった。
[斬影−剣に語らせよ(2)]の続きを読む
- 2006/09/29(金) 10:49:21|
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木剣と言えど、彼らの域で交えれば骨が折れるに留まれば幸いである。
(一閃で勝負は決する。)
弥平は心してはいたが、その構えは、いわば無構えである。
無造作に持った剣先は道場の床に触れんばかりに垂れている。
[斬影−剣に語らせよ(3)]の続きを読む
- 2006/09/29(金) 10:48:10|
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足場の怪しい険しい岩場を、黒影が音も無く飛び交う。
居所を岩場に転じた大柄のムササビが、魔物と化したかのような身ごなしの主は、篠輔の言を頼りに進む弥平であった。
彼は大柄ではあったが、動きは決して鈍重ではない。
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- 2006/09/29(金) 10:47:02|
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彼の師、紅秋が亡くなって後の弥平の逐電は早かった。
弥平には、実の両親の記憶はない。
山須紅秋は、弥平が物心付いた頃には、既に養父であった。
話せば洒脱だが、物静かで穏やかな空気をまとい、街中にあっても、とても武士には見えない。
加えて、ぶらりと散策に出るとて帯刀もしないような、そのような人であった。
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- 2006/09/29(金) 10:46:01|
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弥平が紅秋の大小を封じるのに、時間は必要としなかった。
弥平が旅し始めて一年と経たぬ、ある山越えの時のことである。
山裾で噂を耳にはしていたが、数名の賊に出くわした。
賊らにとってみれば、弥平も少し図体の大きい餓鬼でしかない。
金子も大して懐しているとは見えぬのに、絡んだのが彼らの不幸でもあった。
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- 2006/09/29(金) 10:44:42|
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弥平の影が、長く、長く伸びている。
ボーッと目をやる先の剣は、夕陽に朱染めになっており、乾きつつある残り血は、既にドス黒く変色し始めていた。
(紅秋先生・・・)
弥平は、心の内で師の面影を必死に追い続けていた。
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- 2006/09/29(金) 10:43:30|
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