遠い陽光の中に消し忘れられた落書

バックパッカほすぃ

マーティンのバックパッカー(以下「BP」w)が、ずっと気になっている・・・というか、ほすぃ。
ああ、これでBPを入手してしまうと「アリとキリギリス」のギリギリッすになってしまわんか?と想うと買って良いのか、二人の子を持つ親としての道義的な在り方がっデム!!!
もっとも、そもそもにミニギターとしてのBPが良いのかというと「・・・」というとこもないではない(らしい)が。

私の現マイ・ギターはモリスンの分からんver.で、久し振りに引っ張り出して弾きながら指が動かない!!と騒いでいる横で「これ、どうしたの(入手方法)?」とチビに聞かれ、ちと時間がかかった気がしないでもないが、高校入学の記念に買ってもらったことを想い出した。
女房の常語に従えば「買うなら捨てろ」なのだが、サスガに親思いの私は捨てることが出来ん・・・。
想えばシッカと確かめたハズなのにスグに音程外れのとこがあって、交換してもらおうと想ったが、やはり無理な相談で、というのが一番の想い出らしい想い出のギター。w
私はストロークに走りがちなものだから、一時期、さすがに煩いのでアコギ派の私もツイ、エレキでも買おうか?と真剣に考えた頃が懐かしい。

それはともかく、やはり「ちょっと弾きたい」という時に、ミニギターは助かる(BPならスリムだし)。
それでは「バックパッカー」としての存在意義に関わるのでは?という命題は横においておいてだな・・・。BPの楽器としての最難題は、どうも音量にあるようだけれど、私の場合、逆にソレがいいわけでもあり。
しかし、これ以上、金にならない余技にばかり走る自分も怖いし(汗)。
でも、定期的に、どうしてもコノ手のが欲しくなるクセに腕ばかりが衰えていくのも悲しいし、
BUT、真昼間から弾いてるわけにもいかないよーな気もしなくもないし、
んが、どうせ今でも金にならないことにばかり夢中になっているわけだし今更だという開き直りもあるし、
しかし、人間としてソレはどうなんだ?というソモソモの問題から目を逸らすのか?などという一人問答を繰り返しているうちにBPの在庫が消えていく。
といっても、ニューver.が出るだけの話だったりするわけで、そこそこの安定した人気もあるみたいだから大丈夫と見込んでだな・・・どうしよう?www

こんな風に悩むことがあることさえ知らなかった頃を小さなBPに詰め込んで、夜空の下でポロンと奏でるのもいいかもしんない・・・

って、ダメっすか?俺、人間としてダメっすか??

スマン、女房よ。
おいら、やっぱ買っちゃいそうな気がするゎ(^^;

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  1. 2008/02/05(火) 02:03:36|
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初恋は感情というものではなく

とんでもない時間に目が覚めて、何故かPCの前に座っている。
明日は明日でアチコチに行かねばならぬのに困ったものである。

ということで、起きたのはたわいもない夢を見たからであり、私の(ある)夢の中では実は中山美穂が隣人であり、久方振りに彼女と会ったからである(ということになる)。
中山美穂といっても、実は私はピンと来るものがなく、歳の差がさほどないことだとか、デビュー作でおっぱいポロリンしたとか、異母(異父?)姉妹の中山忍の方が好みだとか位のことしか知らないし興味もない。
その中山美穂が何故かしら夢中では隣人であって、彼女の部屋の前の庭が草ボーボーで(我々の部屋は一階なのである)、一杯ひっかけて気持ちよくなっていた私が彼女に気付いて大したことも無い話をして目が覚めた。記憶に残っているのは「有名な人が目の前にいても何も起きはせんな」「当たり前でしょ」というようなことを話したこと位か?

小学校四年の二学期、引越しをした。
先の学校で一緒の組になったRちゃんは、いわゆるアイドルの中に混ぜても遜色ないほどの美少女で、一目惚れというのはかくなるものか、ということを知った。爾来、数年の間Rちゃんは私にとって美の女神の如き少女であり、女性になっていったわけである。

で、この辺りが私のイケナイところだと想うのだが、大学に入学して一段落した頃、何を想ったのかRちゃんをデートに誘ったことがある。電話には母君が出たような記憶があるが、そんなこととは関係なく渋谷で会うことになった。
そもそも小・中と在学中には、その横顔を眺めながら「美の神様というのはいるものなのかもしれん」などとボンヤリ考えていた位なのに、よくよく考えたらロクに話をした記憶がない(ということに後になって気が付いた)。

さて当日、見ようと想っていた映画は長蛇の列で、面倒臭がりの私は、当時バイトしていた喫茶店に入って少しは話をしようと想ったのだが、話すこととてないことにソコで気が付いた。w
二人で冷めていくカップを前に窓の外をボンヤリ見ているうちにユックリと時間が過ぎていったのを覚えている。あれほどに「恋してたハズ」の彼女を前に別段、あがることもなく、不思議な気分だった。ただ、訳の分からない時間に彼女を巻き込んでしまったようで申し訳ないと想った。

話変わって、転校来の友人と先日話したら、私の好きだったのは近所の同級生、Kではなかったのか?と驚かれた。
確かにKとは歩いて一分?もかからないところに住んでいたし、もっぱら男としか遊ばない私が、二人で遊んだ記憶のある数少ない幼馴染みたいな存在で、学校でも仲はいいというか数少ない理解者というか、そんな感じで、驚くのも、もっともと言えばもっともなのかもしれないが、そういうことを特段、隠すような性癖は私にはないので、アヤツにとってはどーでもいいことだったに違いない。

Kの家の屋上からは町内花火大会の花火が至極よく見えるので、その季節にはお世話になったのも記憶にハッキリと残っている。生来、口性ない私は例によってロクなことを言わないわけだが、Kは先刻承知なので適当にあしらうのだが、学内で変にかばうのも彼女の立場上、難しかった様子で、私が女子軍団に糾弾されている(?)時の困った顔はよく覚えている。

夢から覚めて想い出したのはそんなことである。
てなことをツラツラ想い出しているうちに想い出したら吉日の私はココにいるわけだが、もしかしたらMさんの記事を読んで、宇都宮に来たのなら連絡くれれば会えたのに、と想ったからかもしれない。

しかし、きっとMさんと会ったところで初恋のRとのデートと同じに違いなく、いや、同じであって欲しいという変な欲求がある気がする。
実際のMさんがどれ程に饒舌であるかは知らないが、二人の前には冷めていくカップが二つ並び、窓の外にはなんでもない人波が過ぎ、雪もなく終わる冬と冬を知らないままの春を迎える空があるだけに違いない。
それは、たとえば回廊さんと会っても同じで、風さんだとか美城さんだとか、このブログで知り合った人たち全てに言えることのような気がする。

そういう意味では、きっと私は、このブログで「いくつもの初恋」をしているのだろう。
さてはて、少しは眠る時間も残されているので、一服して「忘れるハズの夢」でも、もう一つということにしよう。

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  1. 2007/03/01(木) 05:04:25|
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白猫の足と

昨日は多忙の中の軽いものかと想って自分の記事に集中してしまったが、Mさんのギックリ腰が大層、悪いようだ。愛読者の多いMさんのブログが痛々しく見える。「ことば」が痛みを増幅するというようなことは、実際、ある。
陽が昇っても寒さが変わらない窓越しの駐車場に一台分の空きがあり、そこは女房が車を出した場所なのだが、マフラーから出た蒸気で僅かな水溜りが出来た。晴れているのだか曇っているのだか分からない陽光の中で、その白猫は水を啜っていた。成猫だが毛並みが悪く、ところどころにコビリついた汚れが目立つ白猫が、水を啜っていた。
ゆっくりと差し出されては引っ込み、差し出されては引っ込みする舌の動きが収まると、白猫はよろばい歩き始め、近くに停めてある自転車の陰に隠れた。右の後足を地に付けることなく。何ゆえかは分からないが怪我をしたか骨を折ってしまったのか。痛々しい姿にも関わらず、白猫の目は、ただただ目に映るものを見ているだけで、私もその一つであったのだろうか、分からない。
コメントしたくても、しようがなかったMさんのギックリ腰が脳裏を掠めた。うずくまる白猫を見ながら、きっとコメントすべきではないのだろうとボンヤリと想った。
特に民間療法家の中には、患者の痛みを自分の痛みとして感じてしまうことがままある。本当に同調しているのかどうかは医学的には怪しいともされるグレー・ゾーン現象だが、西洋医学の医師にも同タイプの方が少なからずいる。身体的なことですらそうなのだから、精神的なことならば言うまでもない。他人の痛みは、本来、自分の痛みとしてしか存在しないのだ。病や故障の類は、そういう共有物として存在する。
ブログからするとMさんがギックリ腰になった二日後、知らないままの私は稽古で腰を強打して翌日まで残る鈍痛の中にいた。全く、無関係な私的なことである。
腰を痛めると酷く不自由するものだ。しかし、不治のものばかりではない。
あの白猫の片足が癒える事はあるのだろうか?と、フと想う。
人の痛みは癒える為にこそ、あるのだと想いたい。
全ての傷病が癒える奇蹟の世界などは妄想だとしても、痛みの癒える日は来ると信じたい。
痛みの中に沈潜しているばかりでは辛過ぎるから。
痛みは癒えるために、生きるために出来た感覚だと聞く。

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  1. 2006/12/05(火) 10:46:10|
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問いに対する答えはない

「あの、一度だけ鳴って切れる電話、あれ、なんなのかしらねぇ?」
少し出るまでに間を置いた電話の後に、ポツリ母が誰に問うともなしに呟く。私が知るわけはないのだが、少し格好よく言えば広告宣伝といえるのだろうか。
このワン切り、単なる詐欺の準備行為と言えばそれまでだが、問われたら答えずにいられない人の心理を巧みに利用しているとも言えそうだ。冷静に考えれば誰のものとも知らぬ番号にかけ返す必要など皆無だし、もし相手方が自分に用事のある人間なら、もう一度、電話してくるだろうと気長に待っても良いわけだし、いずれにしてもワン切りにかけ返す義理も道理も見当たらない。問われたら答えずにいられない、という習性が、どうやら人にはあるらしい。
では、問いというのは必ず答えと対の存在なのかというと、それは強迫観念でしかないのではなかろうか。逆に言った場合、答えは問いを必要とするのだろうか、ということも考えてみたいものだが、全ての存在はニュートラルであれば問いのない答えそのもの、という観念論は成り立ちそうだ。とすると「卵が、鶏が」の議論とは同一には出来ず、明確に「問い」は「答え」を前提に先行したと言い得るのかもしれない。もし答えの実体が前述したものであるとすれば、なんともバカらしいだけの行為こそが問いであるということになる。
きっと、そういうことではないのだ。問いは元々、私達からナニカを奪おう掠めようという行為なのだろう。そして人は奪われること掠められることに慣れるどころか快感を覚えるにまで至る。奪われ掠められることを求める人さえ出る。その要求に、欲求に応えない姿勢を求める一つが禅宗、特に臨済宗の考えるところの一つと言えるかもしれない。所謂、公案ほど人をコバカにするようなものはないが、バカらしければ相手にしなければ良いところ、相手にしてしまう私がバカ本体とでも言いたいのだろうか。
問いなど、この世には実は存在していないのではなかろうか。そして答えなどもなく、いや答えにだけは満ち満ちているとも言えるし、そんなものは全くないのだ、とも言えるもので、結局、問答自体が仮想なのだろう。
懸想なら実ることもあるかもしれないが、どうも問答が実ることはないのではないかという気がする。

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  1. 2006/12/04(月) 12:55:51|
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露と霜

父とゴルフ仲間を乗せようとした車には露が注がれていた。霜になりきれずに露と化したのか、知らぬ間に霜から露に変わったのかは分からない。いつも使う路線とは違う送り駅の道すがらには自宅直近の住宅街から一変した畑地が広がり、一面はほの白く霜を受けていた。冬が近い、いや、もう冬なのだ。
二人を下ろした帰り道は既に通勤車、通学車、貨物車その他色々な車で渋滞し、高度成長期の象徴であるかのような大きなマンションを背にポツリポツリと残るあばら家が目に入る。平屋の一間、多くて二間あるかのそれは、本当に小さく、しかし異様なしぶとさを思い出させる。近年では見ることの少ない建物は、江戸時代をさらに遡る歴史の残滓であるが、私が小学生の頃までの友人の居住空間でもあった。
一間に家族五人が暮らす。年頃のお姉さん、同級生の男の子、弟、そして両親と。子供心に、理由の分からない猥雑感を覚えた記憶がある。もしかしたら剥き出しの牡牝の臭いを感じ取っていたのかもしれないが、剥き出しの牡牝の臭いが猥雑に感じるほど私が幼稚であったということでもあるのだろう。どういう状況にあったとしても、たとえそれが、お互いに何処にいるか分からない大豪邸に住んでいたとて、生きている人間のすることなど大差あるようには思えないのだが不思議なものだ。
そんなツラツラを思いながら、過日に見たアダルト動画を思い出した。ホテルの一室で男根を咥える若い女性。その先には未だ左程には荒れていないシーツが広がっている。やがて大写しになる女性の口元、そしてカメラが引き、先のシーツの向こうに紫にむくんだように見えるボウッとした異形の女性の顔。エロ画像に映った亡霊だという。霊学なるものがあるとすれば、土縛霊という分類になるのだろうか、それとも男女の営みの愉悦を忘れられない色情霊とでも言うのだろうか。
遠からず誰もが彼岸に赴くことに変わりはない。此岸で良いことばかりがあるわけでもない。勿論、悪いことばかりがあるわけでもなかろう。と、こちらは希望というか、そうあって欲しいものだというに過ぎないが。せっかくの新世界よりも現世とは芳しいものなのだろうか。男女の営みにまで顔を出す姿は、それが実際は作り物であれ中々に言い難い「生」のありようを見せるかのようだ。
帰路、太陽はソコソコに高くなっていて、霜は消え、畑地はいつもの土色に戻っていた。自転車に乗った早出の学生が、ふざけ笑いながら車脇を過ぎていく。車を戻した駐車場に並ぶ車が、まだ露を残して暖かみを増した陽の光の中でキラキラと輝いていた。
女房と子供が眠げな目をしたまま飯を食い、テレビに見入っている。
もう一度、体を横たえた布団は既に冷たく、寝床から出るには、いつもより少し早過ぎた朝だった。

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  1. 2006/12/04(月) 12:32:36|
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 の中にいるのか?

僕は言葉を失って。
それは語るべき時を失うと言うことでもあるのだけれど、真っ白な水平線だけが残った。どこまでも真っ白な、ただただ水平線である水平線だ。水平線を、ただ前にして僕は立っている。ただ立っているだけ。
なのに時間は、やはり過ぎていくことを忘れることはなく。
時間が僕を忘れる、というようなことはあり得ないのだ。
ただ、僕が水平線の前に、真っ白な水平線の前にいるということ。それだけが頼りの屹立は。
雲が動かない。
それなのに時間は確実に過ぎていく。
「過ぎていくこと」がどういうことなのか?それすら分からないのに時間は過ぎていっているのだ。多分、それだけは私の確実な実感、いや、すがれる唯一の幻想的実感であって。
だから
いや、だからではない。それを理由にしたら嘘になる。
嘘?
では、嘘ではないものがあると想うのか、私は?
嘘でないものを誰と共に語ることが出来るのか?その虚しさを、どれだけ経験したら僕は・・・
君の乳首に吸い付きながら流れる涙を吸い、君との僅かな、いや本当はあるはずのない絆を掴んで、掴んだと想って。

きっと遠くでは砲撃の音が響いているのに、僕には聞えないし、聞きたいとも想わない。
砲撃の音が聞えたとしても僕は言葉を失ったままでいることは間違いないようにしか想えないから。
そういったら少しは格好がつくだろうか?それだけの動機にしか、砲撃の音が鼓膜を震わすことだけの力すら宿らない。
信じられるだろうか?
僕は、この腕が、足が空中を飛んでいる瞬間でさえ、僕なのだ。紛れもなく僕でい続けることが出来るのだ。

泣きたいのに涙が流れない、涙が流れているけど泣きたいわけじゃない。
きっと、そういうことなのだと想う。
僕は確かに立っている。
立っているのだけれど言葉を失って立っている。

僕は、確かに立っているのだ。
  1. 2006/10/16(月) 17:45:46|
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彼方へ

僕は貴方を求めているのだけれど、貴方は姿を見せてはくれないのですね
もっとも、僕は貴方のことなんか ちっとも分からないから求めているのだけれど
でも、ちっとも分からないから貴方のことが訳も分からずに怖くって


そう、多分、僕は貴方のことが怖くって仕方ないんです
それなのに、貴方のことを求めている、幼子なのです
乳飲み子が乳房を恐れたら求めても与えるのは難しいですね

そんな簡単なことも分からない
いや、そんな簡単なことを・・・

貴方が怖い、と想うことで自分を許してあげたいのでしょう

貴方が怖いのではないですね、本当は
僕が臆病なだけ
臆病だから怖いだけ

僕が臆病だなんて想いたくないだけ

貴方に逢えるほど、私は自分が臆病だと もっともっと知らなくてはいけない
臆病だから、もっともっと強くなろうと頑張らなくちゃいけない

だって、それは私が自分で求めていることなのだから
そう、誰でもないのです
貴方を求めているのは、この私なのです



(初出:2006年06月21日)
  1. 2006/10/03(火) 19:52:21|
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陽廻り

夜遅くまでゴソゴソとしていると 早起きは厳しいものです
布団を這い出した私を 世の中の全てがパチリとした目で見つめてます
そんな目で見つめられると 私は一体、何をしたら良いのか戸惑ってしまうのです

東向きの窓は既に昇陽を見送り、南の斜光に光り輝いております
とは申せ、何もせずに過ごすわけにも参りません
そこそこに口を糊する程度には何かせねば、とゴソゴソ ゴソゴソ

そうこうしているうちに二度目の朝陽が私の背を照らすのです

東西に向いた窓は奇妙なもので 昼日中は寄る夜中に似ております
光の方角が分からないというのは夜道を歩くのと同いことなのですね
私は二度目の朝陽を大変に好いております

陽中を行くも暗中を行くも 私は少し戸惑ってしまうのです

少し斜めの、少し遠慮がちな優しい陽を浴びて歩くのが私は好きなのです
あなたと私の影が楽しげに重なるようで



(初出:2006年06月07日)
  1. 2006/10/03(火) 19:51:18|
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「こころ」と「友情」の想ひ出

小学校中・高学年時の担任は非常に変わった人であった。
教育に熱意はあったのだろうが、後年になってつぶさに想い出すと、
その「熱意」は、ある種の歪んだ心根から出ていたように想う。

小学校の教室というのは恐ろしく閉鎖的な空間である。
私は、自分を至極、素直な方だと想っているが、
カリスマを自己演出して気付かない彼と長く温和な時間を過ごすことは当然に出来なかった。
[「こころ」と「友情」の想ひ出]の続きを読む
  1. 2006/10/03(火) 19:47:48|
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紙虱

妹と二人、ある時は父の背に乗り、ある時は腹上に抱かれ、
遠い記憶にある父は、いつも本を片手にしていた。
印刷会社に勤務していた父は、様々な余本を持ち帰っても来てくれた。
といって、父が高尚なものを手にしていたわけではない。
[紙虱]の続きを読む
  1. 2006/10/02(月) 20:37:35|
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想一葉、兼訪問帳

だから眠ろう、もう少ししたら
明日の計画を書き込んだノートを手に
今日見た、聞いた、触れた
そんな全てが、いつだって重過ぎるから
持ち切れない全てを眠ろう

by 「無意味という意味」 ちょ:まっく

一言お報せ

1.リンクは勝手に頂戴、削除してます。
  ので、リンクはお気分次第にて(^^;
  リンクがご迷惑な場合は、ご一報下さい。

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拙語に託さざらむ恥想ひ、在りて候…

Author:まっく
想:遠い陽光の中に消し忘れられた落書


まっく近影 by 綾見さま

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