明日は・・・

若い頃、小さいバーを持ちたいと想っていた時期がある。いや、つい最近まで、そう想っていた。
きっかけは他愛もないもので、学生当時、毎晩のように一人、飲み歩いていて、酒があるから頑張れるんだな、というような人々と多く語り合う機会があったからだと想う。当時、安物のラジカセで聞いていたのが「ピアノ・マン」で、つい最近、動画サイトで見つけて「ああ、そうそう、こんな感じを心描いてたんだよな~」などと、つい懐かしくなってしまった。




今の時代、こんなバーはアメリカにもあるのか不明という気もするが(さすがにピアノ・マンまで歌いながら喫煙はせんだろう)、日本の場合、ジャズ・バーの類も含めて、結局、定着しなかったと言って良い気がする。
私のバイト先の一つに典型的ジャズ・バーがあり、立地も決して悪くはなく、ジャズ・プレイヤーも十分なものと想っていたが、残ったのはブルー・ノートという「形」くらいだろう。バイト先でもホステスをくどくのにジャズの薀蓄を語るようなのしか来てなかったし。大竹しのぶが出てるCMに見られる「ジャズ・バー」が大方の日本人にとってのジャズ・バーというのは残念な気がするが仕方ないのかもしれない。もっと酒と音楽を楽しむ場を・・・というのは私の身勝手な想いなのだろう。

日本人には酒+カラオケの方が性に合うのかも、などと呟きながら、そういえば「夜空ノムコウ」は教科書にも掲載されるような「日本のうた」になったらしいことを想い出した。私も好きな曲の一つなのだけれど、ピアノ・マンと並べて聞くとゾッとする悪寒が走った。

[せめてもの反抗(?)の意味も込めて桑田・アコースティックver.⇒Uruさんver.です 笑]

ピアノ・マンは皮肉混じりの叶わなかろう夢ながら現在進行形の歌だが、夜空ノムコウは完全に終わっている。捻くれれた見方をすれば、終わった夢を忘れて今の自分を認めてあげよう慰めソングとなっている。
が、この方が日本人の心性には合っているのかな・・・などと。

さて、私の明日はどちらに?



なんてのは決まってることですが。
オヤスミナサイ。良い夢を。
2008-01-31 00:51 : 実験中&備忘録 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

「詩の入神紀」に寄せて

ただただ魅入られてしまう、それとは別に、ただただ没頭してしまう。
二つの違いは大きい。後者は神を見ることはあるかもしれないが近付くことは出来ず、後者は神を見ることは出来ないかもしれないが近付くことは出来る。

ここ数日、頭から離れない「非在としての主体」というのは何なのだろう?とボンヤリと想いながら、そんなことを考えていた。もちろん「主体」というものが存在するのか不在なのかという二項の折衷としてではなく、「主体」というものは非在で、非在であるが故に存在するという在り方を示す、二項に対して言うならば、いわば「矛盾項」なのだ。
だから「私」もまた、信じる限りにおいて「いる」と言えるし、また信じていない「私」など存在しない、とも。そして多分、それは実存的な「信じる」とは違うフェイズで生じる「信じる」なのだろう。

その「捩れ」の中に「自分」を紛れ込ましてしまうことは、きっと重大な、いや、必ず重大な崩壊を招く・・・故に、それらは秘匿されるべきものとしてしか伝えられてこなかった。それは一方で「そういうこと」が人間として生活するには左程の重大事ではない、ということも意味しているのかもしれない。実際、そんなことを考えることが生活上、必須なわけはなかろう。人間ではない魑魅魍魎の類にのみ、すがる縁として、それはあるだけなのだ。

その考えを敷衍して今、「詩」というものに私が求めるものがあるとすれば、それは「非在としての詩」かもしれない。どこの誰が書いているかも知らない、そもそも「その詩の存在」すら知らない「詩」こそが。だから「その詩」は誰の目にも触れ得る場所になくてはならない。「ひっそりと」しまい込まれてしまった詩などは、既にして手垢に汚れ過ぎてしまっている。詩として書かれた詩なども同じ臭いにまみれてしまう。

・・・などという狂おしい中に生まれた詩を、私なら笑うだろう。
そんな詩など、詩ではないに違いないから。
2008-01-31 00:05 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

水滴

そこに非在する蛙の身に浮かぶ水滴が絵に描いたような水滴
明るい陽の下に黙って光り続けている絵に描いたような水滴
冷たい風に吹かれて形を変え、そのいくつかは蛙の身を滑り落ち
その水滴は消えていくのだけれど消えようがないのだけれど
蛙と私との間には間はなく、そして遠巻きに見つめているだけで

蛙を照らす、見たはずの光の陽は鮮明に私の影を照らし
消えない光と消えない影と斜めに沈んでいく冷たい太陽は、すべていつまでも同じ場所にあり、動き続け、現れ続け、消え続け、
ただ紡ぐ言葉の在処を探るような作業に飽いて、ただ紡ぐ
そんな紡ぎ方を忘れられたままに泳ぐ言葉達と、やはり知らない君をそこに見て私は笑う
あまりに可笑しくて、笑ってしまう、泣いてしまう

土塊さへ身にまとっている、非在の蛙を見て私は笑ってしまうのだ
遠くでは潮の香が風に運ばれ、きっと多くの恋人達は抱き合うというのに
髪梳く潮風の中で君は笑い、強く抱きしめられて無言で遠く想うのだ
かなしみさへあれば、などと想いながら君は抱き返し笑うのだ

そして暗闇に包まれた中で、非在の蛙だけが水滴を身にまとい、その光を浴びた水滴が一粒だけ落ち続けて消え続けて、永遠に光を浴びつ消え続けて白い縁取りの大きな花弁の赤い花
そう、その赤い花の花弁にも水滴が乗っていたのだ
きっと暗い中で赤味を帯びた、その水滴に触れた指は私の指であったのに、その指紋の隅々にまで水滴は行き渡ったはずなのに、今は
ようように想い出してきた、あのいくつかのことは遠くになく、ここにもなく
だから君はきっと、僕を笑う
きっと、ボクヲワラウに違いない
2008-01-28 23:23 : 落陽 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

主体的意識(未整理稿)

ここで仮に「意識」を「心」と置き換えるなら、東洋では「心身不二」あるいは「心身一如」と古くから言われていることに近いのだが、通常は「身体の意識化」は拡大方向には進まず、むしろ「意識の身体化」とでもいうべき現象の方が圧倒的に身近だ。
例を挙げるなら正座の際に何かに熱中していて”気付いたら”足が痺れていた、というのが典型だろう。このとき、意識が身体にくまなく行き渡っているならば”気付いたら”という事態は生じ得ない。全身に行き渡った意識により、痺れていく様など隈なく気付いているのはずだからだ。

続きを読む

2008-01-23 17:46 : 消去一葉 : コメント : 2 : トラックバック : 1 :
ホーム

拝啓




Author mak From "空白"

想一葉、兼訪問帳

星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
Both by mさん

【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

For Admin

落書内検索

一言お報せ

リンクは勝手に頂戴、削除してます
ご迷惑な場合は、ご一報下さい



メール・チェックは非常に稀です


BlogPeople

出現するかもエリア-転記候補