君に渡す今日だったろう

なぜ今日は繰り返そうとしないのか、今日を
窒息するほどの汚わいのなかで狂いながらの苦しみを
なぜ今日は繰り返そうとしないのか、今日を
薬に薬を重ねて錠剤を
すべて口にするものなら薬として飲み下したし
すべて口から吐くものなら煙として吐き出した
なぜ今日は繰り返そうとしないのか、今日を
狂ったままでい続ける狂人を見つめる無数の冷たいまなざしを
遠くまで届きようのない汚わいの叫びを
なぜ今日は繰り返そうとしないのか
もう昨日を失い続けているだけの今日は
明日のないままの今日は
それでも今日は繰り返そうとはしないのか
今日という最高の記念日を

初出:note.mu(20150528)
2015-05-31 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

どこまでも平坦な坂を

宮益坂は明治通りに交差する、だから突っ切れば良いだけのことだ。
「幾ら歳月を経たとしても宮益坂が明治通りにはなるまい」
と、それが甘かったと知ったのは、必死になって平坦な宮益坂を幾度も幾度も行き来してからだった。

雪でも降ればスキーとは言わずとも、ソリ遊びくらいは出来るはずの、あの坂はどこだ?
まるで同じ建築物、まるで同じ店、まるで同じ人…今や明治通りは平坦な宮益坂だったのだ。

そこで微かな勾配だけを頼りに私は一人、到る所で宮益坂を壊してまわったのだった。
そうしてヘンテコな新しい坂が出来ると私の前には目標の店があり、
「ついでだからな」
と、親切にもその店も壊して坂にしておいた。

初出:note.mu(20150527)
2015-05-30 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

引用についての覚書

つまるところ可能であれば非-積極的な、つまり変革的な誤読を伴わない引用は保守的ブルジョワ以上に、むしろ高利を貪る資本家の仕様に著しい一致を示すだけのものに過ぎない。
それは仮に引用元の上に蓄積するもの、累積するものがあれば、なおさら言うまでもないほどに明白なことであって、次のように言い換えることもできよう。

“引用によって示されようとするものは、かくかくしかじかの由来であるが、それら由来すべてを遡行した「そもそもの出自」など存在しないとまでは言えないが、その存在は示し得ない”

そして、このように明らかにされ得ない架空の資本的出自から出発して、いつの間にか積み重ねられ増殖してきた由来、それら無数の由来の上に、更に新たな由来を積み重ねて増殖しようとするエネルギーが、ほとんどの場合の<引用>という行為を駆り立て、また突き動かしているに過ぎないということであって、ここに至れば、もはや引用者と資本家は、ほとんど区別がつかないか、全く同じ存在である。

忘れてはならないのは、我々すべてが引用者であるという当然のことであって、そこに効率的な運用をなし得るか否かの差異が、あるいは存在するかもしれないということであろう。
そして<引用>は快楽的、むしろ享楽的行為でもあるということだ。

初出:note.mu(20150528)
2015-05-29 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

パラダイス?パラダイス!

数え切れぬほどの階段をのぼる
とても深い地下であったことを知るように知らしめられながら
もし地獄が地下にあるのなら光に満ちたこの地上!
今、立つ この地上は天上の国に違いない

そこは紫煙の一本すら決して見逃すことのないように
飢えた眼に淀み濁った血を凝固させ
なおも、この上なく朗らかな猟犬どもの世界

穢れそのものである存在を
穢れそのものである存在が
ただ、狂い追いたてるだけの天上世界
あまりにもパラダイスな天上世界

初出:note.mu(20150527)
2015-05-29 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

雨の街を/荒井由実 - 初音ミク・カバー



※以下の初音ミク・カバーVer.はアカウント削除されたとのことです

初出:note.mu 2015/05/28

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2015-05-28 00:00 : 実験中&備忘録 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

なぜ世の中には人生を楽しむ人とそうでない人がいるのでしょう?

楽しみは忘れたときにだけ訪れるので、
人生を楽しむべきものと考える人は人生を楽しむことが出来ません。

ここで、あるいは
「"無心に"楽しんでいる人もいるではないか?」
と指摘されるかもしれませんね。

しかし、その指摘は
「楽しむとは、どういうことなのか?」
と問うことと同化していってしまいます。

そして
「楽しむとは、どういうことなのか?」
という問いと答えの細分化の果てでは
「楽しむ人と楽しまない人の区別」
は、存在しないか、意味をなしません。

ですから、
「楽しみを求めていない人は人生を楽しみ、
 楽しみを求める人は人生を楽しまない」
それが答えとなります。

ちなみに私は、
「積極的に人生を楽しくないものである」
と規定することによって楽しみを享受しています。

そのことによって、
楽しいことに遭遇すると悲しみますが、
楽しいことが訪れること自体は避け難いことなので、
それを一種の宿命みたいなものとして受け容れているのです。
2015-05-28 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

苦悶する空と空の下で

はらはらと剥がれ落ちてきそうな色をした、
穏やかな空の下で苦悶している。

恋しい人との距離は哀しみに集束しながらも、
ときに近過ぎ、ときに遠過ぎ、
時間も距離と同じだねと笑い合う。

話を聞こうと、同時に。
話し始めようと、同時に。
私たちはぶつかる、

沈黙のなかで、言葉のなかで、
そのときの私たちには、会話があった。

私が話そうとしたことを君が話す、
私が話したことを君が話そうとしたことだという。
それは、本当に幸せなことだった。

しかし影と目が合ったとき、
太陽が私を見る、光が私を見ている、
人生に楽しいことしかなかったら、
私が生きる人生には絶望する可能性しか残らない。

絶望できない私の上で、
はらはらと剥がれ落ちてきそうな色をした、
穏やかな空が苦悶している。
2015-05-27 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

蟻のように、雲が散る

見苦しい雲が空を這っている、風は吹くことを知らないままだ。地上をゆくだれかが見上げることがあれば雲は愧じるだろうか、彼はなにも持たずに悶え続けるだけだ。

蟻の巣をつついたことはあるだろうか?
私は、ある。

入口に山積みにされた土塊をホンの少し崩すだけで彼らは大騒ぎをする…
というのは嘘で、急ぎ足で淡々と土を運び出すだけだ。壊されても壊されても淡々と土を運びだし、どれだけの長さの巣を築くのかは知らない。

巣を掘り進めれば掘り進めるほどに餌を運ぶ距離も遠くなる。
仮に彼らが苦悩を知っているのなら、その営為の虚しさを知っているのなら、掘ることと餌を運ぶことを較べることを知っているのなら…
知っているのだ、散っても散っても湧いて出てくる雲のように。

彼らの驚嘆すべきところは、そう知っていても変わることができないこと、いや、変わることそのものを拒否し、拒絶するところにあると言いたいのだ。

淡々たるものとはいえ、見苦しい営為は醜悪である。
「あるいは」と語り出したくなる神話たち、沈黙せよ。
君たちにそれを語る資格がないことを私は知っているし、もちろん私も語る資格などない。

改行について語りたかった。
それを言葉と言葉との距離の問題としてではなく。延々と繰り返されるだけの改行について、あるいは一度も生じ得なかった改行について、一度だけ生じた改行について、二度だけ繰り返された改行について。

私と君とのあいだの改行について知り尽くしたまま沈黙する雲と蟻とのあいだになら、私と君が存在する余地があるような気がしている。
君の意見は要らない、私の意見など蚊帳の外である。ただ、この世を満たす改行について少しは語ってみたい、ただ、それだけのことだった。

「雲と蟻とのあいだには、ついに改行を見出すことができなかった」と、そう報告したい。
付け加えるなら「…にも関わらず、雲と私たちのあいだには改行が存在し、私たちと蟻とのあいだには改行が存在する」と。

雲が消えるのを知らないままの蟻が一匹、迷子になったまま部屋なかで乾ききるまで歩き、息絶えていた。

初出:note.mu(20150524)
2015-05-26 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

等距離だけを求めていると信じているように想うこと

ある言葉を強いるだけで、ある詩法を強いるだけで詩は書けてしまうし、
ある言葉を禁じるだけで、ある詩法を禁じるだけで詩は書けてしまう。
強要と禁止によってだけ書けるものさえ詩と呼ぶのならば、の話である。

詩について話すほど虚しいことはないことを知ったときには詩について語ってみよう。
すべてからの等距離が存在するのなら、そこで語りたいものだと想う。

遠くから押し寄せてくるように錯覚を強いるすべてが私を鋳型に作り変えてしまうが、
元より鋳型で出来ているだけに過ぎなかった。
君が去るだけで私は変形し、君と遇うだけで私は変形し、
それぞれに種々無限の鋳物を零し続けてゆくことができたし、できる。

そういう在り方を私は笑って見送るしかないが、変形の彼方に等距離を夢見よう、
絶望に似た希望と希望に似た絶望と、
それらをない交ぜにしながらどれも似たようにしか見えない午後を気怠く過ごし、
泣くように過ごしながら泣くこともできない。

もし愛について語る機会があったら一瞬間は立ち止まることもあるかもしれないが、
立ち止まりから立ち止まりへと立ち止まっているだけだった。
愛について語り続けるなら、すべては等距離の彼方へと消えるだろう、
それが君の遺言なのだと今でも信じている私がいる。

初出:note.mu(20150524)
2015-05-25 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

過去メモ~200150518~20150524分転記

適当&ランダムに(一部改変)

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2015-05-25 00:00 : メモ帳 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

心と空の関係について

遠くを流れようとする雲が空よりは遠くに行けない
風向きを変えよう、哀しい声できみが叫ぶ小川に波紋が広がりきれない

-すべてを否定すれば良いと想っているのかい?
-すべてを問いに変えれば良いと想っているのかい?

恋人のいない生活空間のなかにだけ取り残された木製の椅子を
だれかが抱きながら涙を拒絶しようとしている
続いて涙の拒絶を拒絶しようとしている
無限の連鎖に見えるが、そこには一回の別れしかなかった
もっといえば一回の別れすらなかった

別れる前に出逢ったのか、出逢う前に別れたのか…
知られた命題を拾いながら笑い合うひとを探す耳
もう哀しい音楽を拾うこともできはしないが

夜、空が雲を押しのけて私たちの街には訪れる
私たちのなかには、いつでも雲を押しのけた空が広がっていて
それは、いつだって夜空でしかなかった
どこまでも深く広がりつづけようとする夜空しか知らなかった
2015-05-23 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

過去メモ~200150511~20150517分転記

適当&ランダムに(一部改変)

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2015-05-17 00:00 : メモ帳 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

過去メモ~20150517転記

適当&ランダムに(一部改変)

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過去メモ~20150515転記

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2015-05-15 00:00 : メモ帳 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

雨の陽炎

ある雨の日、陽炎になりたくて
ゆらりゆらりと消えてしまう陽炎になりたくて
雨の一粒一粒を追って一緒になる
雨のなかで漂う陽炎になりたくて
雨とひとつになりたくて
ゆらりゆらりと消えるように漂って
禁じられた雨のなかで雨を追い
ただ陽炎になって
雨のなかでゆらめいていたかった
2015-05-15 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

雨の遺言

雨に違背する方向に向かうジェット機の
遠い音とともに訪れる夕暮時
喧騒のなかの喧騒、憂鬱のなかの憂鬱、
つまり街角に似た場所
-静かにしてくれないか
もはや、たったそれだけの願いも許されない場所だけが残される
ひとり未満の孤独とふたり以上の孤独に挟撃されて
ひとりきりの孤独は孤立する
-ああ、なぜ黙っていてくれないのだろうか
すこしの沈黙さえあれば、すこしの愛でも消耗してきた
愛の消耗だけでは沈黙は訪れることがなかったが
いったい愛を消耗することができたのか、問われれば怪しいが
腐敗する夕暮れのなかで恋人は、かつてなく美しく
恋人への愛は一瞬で憎しみに身を任せる
夜から昼へと引き渡された時間との取引に従って
雨だけは決して信じてはならない
雨の降る日を、男が光源の裏に還りながら
そう言い残して遺言とした
2015-05-14 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

腐乱できずに肉は朽ち

雨に溺れてはならない-

そのひとことだけを杖にして雨のなかだけを歩いている。
雨を避けながら雨のなかをあるいている。

陽射は内奥から周縁を目指し、雨は光源を目指す。
雨と光源を結ぶ陽射の紐帯として差し出されるのは肉塊だ。
もう、だれとも出遭うことがないまま、遠い出逢いだけを繰り返している。
詩人なら言うだろうか、
その出逢いは永遠に繰り返される別れだよ-
そのひとことが杖の先を尖らせる、ぬかるみに杖が刺さる。

ぬかるみ深く白い杖が吸いこまれ、二本の杖が吸いこまれ、
あまりにも深く、どこまでも深く、それだけが希望となってしまった。
あまりにも強い希望は絶望に似ているが、少し違うだろう。
実のところ<希望>という言葉を使ってみたかっただけだった。
あらゆる望みなら、すべて叶えられたのだ。

断ち切られた虹の合間から覗く薄暗い空のように、
夜空に似た青空のように、だれかが雨のなかを歩いている。
2015-05-13 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

風さえ白い

あるひとつの希望を折れて進むと、
真白いだけで光を持たない太陽と出遭う
それは遭遇といって良い体験だ

いぶかしがるが良い、なんの光によって、
光を持たぬ太陽が真白くあることができるのかを
問うが良い、どんな闇ならば
事物を覆い尽くすことができるのかを
そして叫ぶが良い、太陽は光を失ったのか、
それとも元から光など放っていなかったのか

きみの骨を拾う、真白い骨を
なぜ真白いのか、きみは
そんなにまで頑なに乾き切り、
風の色さえ真白く染め抜いて
きみは一言も発することがないじゃないか!
そしてあるひとつの絶望を折れて進んだ
2015-05-12 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

ふたつの眠りのなかで斃れること

光る崖に被る波を止めて過ぎる時間のなかを通り抜ける
パイプ状の波中を真空にして光になって少しは遠くへ
翔る羽もない、駈ける足は萎えた、鬱陶しい雲が見えなければ
どこでも良いのだが、そんな場所があるのかさえ知ることもない

割れたガラスを踏み割りながら流れる血の分だけくらいなら
命も削られてゆくだろうと、短い道しか与えられず
微かな記憶に漂う森の静けさを愛した気がしたまま
確かめることの情けなさに流す涙さえあったならと、しかし
何も知ることなどなかったし、知る必要すらなかったのだ

与えられずに迎える眠り、与えられて迎える眠り
ふたつの深さ浅さを較べながら眠りからなら遠ざかる
哀しい唄を繰り返すロボットの単調な歌声が
荘厳な教会音楽のように静かにリピートし続けている

だれもいらない、なにもいらない、どこもいらない
いらないものだけを与えられて生きている
色々なことを休みたいまま休むことができず
疲れてゆくが斃れもできない
2015-05-11 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

過去メモ~20150510転記

適当&ランダムに(一部改変)

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2015-05-10 00:00 : メモ帳 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

バー・カウンターの孤独 -部分-

1.
私が一人の詩人と向き合うためには、
バー・カウンターの孤独が必要だ

2.
「読んでもらいたい」という想いや
「読んでもらえる」という幻想は恐ろしい。
「ただ書くこと」を取り戻さなくてはならない、
「書く理由」を私以外に渡してはならない。

3.
いつの間にやら家に飼い慣らされて
家の所有物になっちまって、どうしたもんかね
どうせなら旅の所有物にならねばなるまい
居所は俺を殺す、旅なら少しは生かす
旅する季節なら家のなかに入れなくてはならない
エアコンなんかで季節を殺すな、追い出すな!

4.
安逸はいつもここにある
それは深い悲しみだ
私たちは孤児であることを宣告され
彷徨うことだけを義務づけられる
孤児の宣言なら生誕のときに
あの激しい泣き声のなかに
その響きのなかに残してきた

6.
不安を口にするには私たちは
飼い慣らされ過ぎている
悲しみや憎しみの距離を
不安で隠してはいけない
哀しむもの憎しむものを
穢してはならない
不安するには私たちは
<貴族>に足りなさ過ぎる

7.
開拓もされぬうちに犯されて
怒りを知らぬうちに絶望に染まり
何を嘆くことが出来るのか
私には
私たちの祖国はない
いつでも祖国は疑うべき理由しか
与えてはくれない

8.
喪ってゆく
できることの一つひとつが、かつて
獲得してきたことだとは
信じがたいほどに膨大でなんとも愉快、
痛快なことではないか
俺は、まだ五十音すら覚えている
記憶とは、覚えているということは
なんとも怖ろしくおぞましいことだ

9.
氷が融ける
アルコールに溶ける
ジャズに溶ける
バーが溶ける
悲しんでは、いけない
悲しんでいる場合では、ない
2015-05-10 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

割れる瞳

あの、見上げた土手の
風にそよいで、たわむ、
たわんだままに美しい背高の草々を
名も知らぬ草々を
せめて絵に見せられるのならと
想わないでもないが、私は
君の瞳が割れるのを見た
もはや世界の何ものも映さず
何ごとにも属さなくなった
反射板を持たぬ無為の透明さに溺れる
水面が割れるのを見てしまった
ただ、風が吹くままに一人、
私は見ていた
2015-05-09 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

自我と自己

自己、あるいは自我という視点から「愛の回収」や「自己あるいは自我の逃走性」ということを考えていた。

しかし、ふと「自己愛」という用語は聞くけど「自我愛」というのは聞き慣れないし、何気なく「自己と自我」と言い分けてはいても、どちらがどうかということは、あまり意識してないことに気づいたので、少し調べてみた。
想像以上に専門的な話になっているようで、まず簡単に「自我はセルフ・イメージ、自己はユア・イメージ」と言い分けるフレーズを念頭にしてみた。
単純に自我がベースで自己が二の次というわけではないだろうが、最も分かり易い「自己」は「他人を通して見た自分」ということになるようだ。
参考)「自我」と「自己」自我自己
*哲学的には自我=自己意識という面もあるらしく、更にヤヤこしい…

また心理学としても「自我心理学⇒自己心理学」というように「が⇒こ」の五十音順で発展してきたらしい。多分、一般的に「精神分析」と聴いて想い浮かべるフロイト・メインの系譜は「自我心理学」とされ、「自己心理学」ハインツ・コフートが1970年頃から提唱し始めたものだとのこと(日本の「自己心理学」研究者では和田秀樹が著名らしい)。

ここは少し複雑というか混乱しそうになるので深入りしてないが、フロイト・メインの文脈で用いられている「自己」が、「自己心理学的には自我」ということがある気がする。それで「自己」と「自我」って違うよな、的に考えてしまったのだろう。
実際、1923年頃までのフロイトも「自我」を「自己」の意味で使っていたらしい。
「自己愛」というのも面倒な言い方、トートロジーっぽいが、言い得て妙な気もしてきた(しっかし頭イタイな)。
参考引用)Wiki
「意識する私」という概念は、精神分析学においては「自己もしくは自己イメージ」として明確に区別されている

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2015-05-08 12:00 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

降り止むときを求めて

降り止まぬ雨のように
時は街々に舞い降りる
けっして均等にはなり得ぬリズムで
けっして均等にはなり得ぬ強さで
屋根を叩く、傘を叩く
雨どいを伝い、側溝を流れ
下水処理場で浄化され
川へ、海へ、
とはゆかぬと想うが、時は
降り止むことがない
2015-05-08 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

木の実の音楽

ナッツを噛む音で聴くのだ
いちども芽吹くことなく私になる
木の実の割れる、音のなかで聴くのだ
激しいドラムより優しいベースの
長音符のなかで聴くのだ
心音のリズムに近似する
極限の偽りを語る音楽を
2015-05-07 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

ノクターン

ピアノの音が白く薄く聴こえてきたので
透明になりたいのだと想いながら、
君のいる方へと向かう

雨よりも冷たい雨を被りながら
凍るはずの記憶が溶け出す小川の向こう
岸辺を洗う流れに小石を積んで走り出す子供を-

空から降りつづける音符が舞い降りる、
そのピアノ椅子を空白で埋めて
消えたきみの冷たさを背骨で感じて

君が私のいる方向へと向かう
君のいる方向へと私が向かう

ここは森、ここは森の外、
私たちの居場所がない、そういう所
ピアノの音だけが聴こえそうな、そんな

そんな ところ
2015-05-06 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

冬の後方から訪れる

温かい風が吹く
冬の方から、冬の後方から、吹いてくる

乾いた瞳を尖った空にぶら下げながら、
空っぽの男が歩いてゆく
花びら積もる屋根に登って男を見下ろす少女もいたが
覚えたてのレールに夢中の少年らは関知しない

-風は波か?波も風か?

男が問えば、それだけで
すべての少女の唇などはシュンと消えた
2015-05-05 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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拝啓




Author mak From "空白"

想一葉、兼訪問帳

星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
Both by mさん

【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

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