不在へと至ることが出来ないという不在の不在を喪失と呼んだ

詩において喪失が語られることが多いのは、詩が喪失の不在、代替への復讐としての代替を語るからかもしれない。詩はレトリックという形で喪失の不在を再度、示し、指し示すという復讐を成し遂げようとするのだ。
愛を失うことで新たな別れを得ることが出来るので、別れは愛の代替として変わることのないものでしかないのだ。愛している時の高揚感すら移り変わるだけのものでしかない。あるいは別れを得るために愛を手放しさえするのである。全てを終わらしめると信じ込まされている死さえ(愛によって別れは手離されたか?)。
だから私たちは復讐の代替として愛することさえ出来る。それは勘違いなどではなく、本当にそうなのだ。私たちは、その実、私たちでさえないという、そういうことなのだ。
忘れ去られようとする営みの中で記憶に刻まれ、永久の苦しみの中に放り込まれる私への復讐。決して報われることのないまま持続される復讐。復讐の代替としての愛、愛の代替としての復讐として、ある種の詩は定義される。
2014-05-24 00:00 : 想葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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