試詩的終宴について

詩的なモノは常に冒険的(それは往々にして日常的なるものである)で、その拓かれた世界(それは往々にして壊れた世界である)に瞳は奪われる。瞳を奪うモノに宿るモノの態様のことを”美しい”のだと言ってみよう。それは一般的に「美しい」とされるものばかりではない。目を背ける時にも又、瞳は奪われる。詩はコトバという道具を通して世界を拓こうとする試みと言えるかもしれない。詩的なモノは、また”遭遇”の契機でもある。それは世界を拓くことを言い換えたにすぎないと同時に、未知だった自分との遭遇であり、訣別でもあるということだ。その意味でも、やはり冒険的、つまり”美しい”のだと言わざるを得ないかもしれない。

娘に薦められたバンドの曲を聴いていて、ふと詩を書きたいと想った。私は詩というものを書いたことがない。単なる落書として書き始めた頃から、それなりに継続して書き続けたこともあるけれど、詩というものを書いてみたいもんだなと想うようになるばかりで、やはり、それらは詩ではなかった。なによりも、詩を書くという行為に必要なのは自覚なのだろう。まず初めに、私には自覚がないままだったのだ(自覚を持つことを怖れていたのだろう)。それが、詩を書きたいと想うようにまではなってきた。詩的なモノ、更には詩というものが何なのか?や、詩というものに必要な技法や知識・・・それらは未だにないままであることに変りはないのだが、ナニカが変わったのだ(また、変わっていないのだ)。

従来、全く書かない期間が数か月(年?)もあったり、気が向いても予約投稿システムを用いて溜め込んでアップしたものも多く、それすら気が向いた時に、いつ書いたかも分からないメモ書きを拾い集め、書き改めてアップするという具合だった。そういった好い加減さだって変わることはないと想うのだが、それでも今後は、せめて試作詩としてでも詩を書いてゆこうと想うようにはなったのだ。もっとも、それはナニカの終わりでもあることなので、「試詩的終宴」というカテゴリを新規作成することにした。このブログは設定の関係もあるし、本当に限られた人しか見ないし辿り着かない。読まれないまま終わる、それは私にとって幸いなことであった。



本稿にあたって改めてでは御座いますが、別ブログ・サービスでの邂逅から数えれば十年近くのお付き合いになるのではないかと言うKさん、このブログ・サービスへのお誘いというか、御紹介まで頂いて感謝しています。
B、ことJさん、いつも明るく温かく接して下さるとともに、過大な評価を下さり、それは書くことを飽きずに続ける強い動機の一つにもなりました、有難う御座います。
Mさん、詩は勿論、種々の文学や思想、広範な分野に亘る刺激を与えて下さって、それは私が詩を書こうと想うことに時間が掛かった要因かも知れないのですが、遠回りして良かったんだろうとも想っています、有難う御座います。
限られているとはいえ、他にも黙って見守って下さっている方々、伝わることのないだろう謝意ですが、ここに書き記させて頂きます。



なんて言っても、何が変わるわけではありませんが。
こうして変わらないことが終焉なのでしょうか(それともナニカでも変わることは終焉なのでしょうか)。
以上、終宴特報みたいなものなのでした(ほんでもって、いきなり筆が止まったりしてネ・・・w)。
2014-05-27 00:00 : 試詩的終宴 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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