覚書としてのフェティシズム暴走-神への復讐措定-試論

生殖から分かたれた性はその時
対象化された<性>であり
言葉として・・・
いや、むしろ<叫び>として欲されるべき
求められる快楽であり、悦楽の行為であった
かつての<生の未分離状態>から
無残にも切り離されたそれは
また限りない死の領域への近接線であり
また<性を為すもの>として人は
人以外のものとしての死を迎えたという意味で
文字通り<性>は<死そのもの>であるのだ
(性とは行為なのか、トーテム・ポールなのか?)
フェティシズム、つまり扇情は
魅了する死に迫らしめる誘いであり
「子ら」を再び<神の世>を開き入らせるための
<呪象>であり<呪踊>である
言葉がすべからく呪であり祝詞であるのは
これら全てと分かち難い結びつきがあるからだ
時に人が生殖器を欲しているのか
あるいは性行為を欲しているのか
その双方であるのか
(あるいは、どちらでもないのか)
その分かち難い感情に見舞われるのは
未だ<性>が生の本質的未分離から
十分に逃れ得ていないからである
これを喚起する側から言えば
その逃走を行為の方向に補助、助長するものとして
フェティシズム、扇情といったものが用意され
あるいは生殖に与する性も<再可能性>を得る
更には生殖に与しない方向へと限りなく進展する
性が聖なる営みとして準備されるのと同じく
恥ずかしき、愚かしき営みとして準備されるのは
そのようにして対象化された性の
不毛性までが言及されるからであり
ここには意図的に逆転させられた聖と俗が
日常としての生に持ち込まれるという
一つの装置が仕組まれているのだ
(神を便器の中に押し込めろ)
性を基点として見るのならば
エロティシズムとは
それら性を巡る生と死と
聖なる領域と俗なる領域
全ての出発点としての叫び
再生と再死を喚起する呪像、呪踊といった類
無秩序に求めるだけの欲望戦線
それらの総体として語られる
性的暴走とは性的喚起装置そのものの暴走でもあり
子らを見捨てた神への復讐でもあるのだった
2014-07-25 00:00 : 試詩的終宴 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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