「坂のある非風景」と私

Mさんが書かれている「坂のある非風景」というブログがある。
初めの出会いは、私の例により、回廊さんのリンク伝いであったかと想う。
私にとっては昔馴染みの言葉も見られ、久しく遠ざかっていたアレコレを再考する貴重なヒント元である。

そして・・・当初から遠慮ないコメントを寄せさせて頂いていた(る)が、
「坂のある非風景」とはなんぞや?
と、いつも想ってしまう。
今、こうして改めて見つめ直すと、なんと切ない題なのだろう、と感じる。


Mさんの記事は、鋭く明哲な視線を持って淡々と、しかし、やはりどこかに「詩」が書かれているかに見える。
時に、それは読者を寄せ付けない孤高から睥睨するやに感じてもおかしくはないとは想う。

しかし、豊富な引用には戸惑うけれど「難解であるか?」と言えば、
多分、接する姿勢によっては決して難解ではないと想うのだが、
コメントを寄せ付けたくない、という「見た目」が読者のコメントを躊躇わせる。
あるいは、ただ納得して読み過ごしてしまうことになるのだろう。
記事に寄せられるコメントは、いつも遠慮がちだ。

しかし私の受ける印象は全く異なっていて、Mさんは自己否定の叫びをあげているかにすら見える。
それが徹底しているからこそ、異論に対しても妥協出来ない。
しないのではなく、多分、出来ないのだ。
なのに、それが故、自分で書いているものを信用していないのに、誰も、それを言ってくれない・・・
その孤独な自己嫌悪を吐き出すためにブログを書いているかのようにすら見える。

時にコメントに現れる「いやなヤツでした」という一言を見ると、私は寂しくなる。
「元詩人」とプロフする、その翳りの先にいる人達に憤然とする想いすら抱くことがある。
Mさんが望んでいるのは借物の衒学ではないし、その知識・思考に感心してもらうことでもなかろう。
ましてや万人が納得するような「真実」など二の次にも入らない。

こうして見てくれば「坂のある非風景」は、Mさんそのものの姿である。
風景でない坂そのもの・・・
風景ですらない坂は、どうやって存在し得るのか?
私は「坂のある<永遠の>非風景」とならないことを祈りたい。



「ブログ散策」by Mさん

2006-08-19 22:31 : 消去一葉 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :
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まっくさん、トラックバック、ありがとうございました。泣けました。
2006-08-20 00:51 : M URL : 編集
Mさん、こんにちは(^^)
「坂のある非風景」について書く機会を頂戴出来ました、有難う御座います。
2006-08-20 09:16 : まっく URL : 編集
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拝啓




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