風景との対話

抽象化され得ない風景への
限りない拒絶ではない否定への試みに、しかし
あまりにも無力な私たち
「この風景の次には、この風景を」
仮にトポロジックにしたとて、ついに
それは否定には至らならなかったのだ
哀しまれる風景があり、孤独な風景があり
歓びを謳う風景があり、愛が語られる風景がある-
結局、私たちは風景のなかの一点でしかなく
本当の(そんなものが?)哀しみにさえ辿り着けない
愛が語られるのは、ついに風景の要素としてであり
常に愛は風景のなかの一遠景でしかなかった
そして風景の要素は、ただ風景であることだった
抽象への高みには、いくつもの深い谷が横たわり
私たちを限界まで近接させる遠ざかり方で・・・
-ああ、だから抽象画は嫌いなんだ
無為の透明な雑色のうちに
それでも私は食事を摂り、排泄もし
もちろん眠りもする
想えば、それこそが抽象そのものではないか?
風景の一点、極限的一点として終極、消えることではなく
風景そのものとしての私たちこそ・・・?
ああ確かに、そこには哀しみはない
孤独も、歓びも、愛も、そのたの諸々も
すべて抽象としてだけ生きられている
どれだけの限りがあるのかは知らないが、私は
その抽象を、もう少し生きてみよう
適当でいい加減な態度で、曖昧な態度で、省みられない態度で、etc-
だって、それが「風景」というものだろう?
2014-08-19 00:00 : 試詩的終宴 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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