誰もがすなる好き嫌いといふもの

武士「道」については、よくは分からない。
好きな方にお任せするに如くはなかろう。

しかし「武士」というのは、本来、人を斬殺するもの。
それが私の「武士観」だ。
武士(もののふ)に対して「文士」という言葉がある。

ここで言葉の定義やらを考え始めればキリもなく、詮もない。
しかし「文士」という言葉には、ある想い、そして覚悟を感じる。
今の世に「物書き」は溢れるほどにいる。

今は、その刃を鞘に納めてはいるが、この方(編注:回廊さん)の一文にハタと想う。
誰もがすなる好き嫌い。
それを「文学」の基準にすれば、売れるかどうかが「文学の価値」にもなろう。

私の読書のほとんどは、好き嫌いしか基準にない。
「ここに書く」のも好きな文を書けないか?という単純な思い立ちに因っている。
もっとも、その好き嫌いは世間様とは相当異なるようではあるが。

このような論争・議論(?)は幾度も繰り返されて陳腐化しているだろう。
しかし、一度は書かずにいられない気持ちになるのは私だけであろうか?
「売れる」ことは、それ自体、特段に忌み嫌うべきことでもない。

しかし、この苛立ちはなんであろう?
「良い」と巷間、言われる本を読む度に募る怒りはなんであろう?
食事を抜いて本を買い漁り、それでも読んで満足出来た日々はなんであったのだろう?

多少の文章「術」なら、読み手として心得ている。
ストーリー・テラーの手練手管も凡そは読めるが目を瞑ろう。
暇潰しだけで読み捨てるだけの本ならば、それも良い。
楽しく、時に面白おかしく読める本も良いものだ。
印税の「寄付」も暇潰しには惜しくはない。

想えば、文学と言われるものの真っ当な読書から離れて10年を軽く越える。
文士を名乗って誰憚ることを知らぬ者の、ギリギリと歯軋りが響くような、眩暈を覚えるような。

そんな「刃」を求めるのは、時代遅れの嘆きなのだろうか?
読者の心を切り裂かん刃は、今でもどこかで眠っているのだろうか・・・
書き手の眼(まなこ)に映っているのは、一体、なんなのだろうか・・・

(初出:2004年11月30日)

2006-08-22 17:20 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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