追求姿勢

(注)
このブログに「偶然」以外でお越しになる方には、一切、関係ない記事です(汗)。
ブログ巡りをしていた時に、たまさか見たコメント応酬の感想で御座います。
不適な書き方になってましたら、すいません。



私は、通常は比較的モノゴトに対する自分の意見をハッキリ言う方だ。
ここで別段に強調せんでも、とは想うのだが、
ネット交流やブログを通じて、その姿勢は軟化している(笑)。
時に「これは、あくまで個人的意見です」と強調までしている。

自分の意見に自信がないとかではない。
もっとも、自分の意見に対する反論など、どれをとっても五個くらいは挙げられるわけだが(爆)。
そうともなれば、次の手も考慮に入れてはいるのである。
が、生来の面倒臭がりから、事前回避策をとることにしている。

しかし、これは異常事態というか、私は異質なのか?と想うことがある。
いや、しかし、そうではない!と想いたいので大学生時代を振り返ってみる。

ゼミのI先生は立派な学者で経済史の専攻だったが、名利に恬淡なタイプで権威主義を有さない方だった。
後に経済史の先端学者を輩出したゼミであることを知って青ざめたこと、想像に難くない。

しかもI先生のゼミには変わり者が多く、大抵の場合、向かいに座ったNは、
誇るべき成績を残すボディー・ビルダーで、もっぱら惰眠専門。
たまに目が覚めると「ムキッ!」と軽いポーズを笑顔でとる。
I先生が見ていないわけはないのだが、こういう所業が許されるのである。

しかもこのI先生、私が不遜にもI先生の学説に異説を唱えても、
その典拠を問い、まぁ私は大抵は覚えてないのだが、
「こんな名前の作者の、こんな本だった記憶があります」
と精一杯の誠意で答えると、一頻りの議論の後、淡々と、その頭脳にインプットされる。

学寮時代はもっと凄い。
韓国からの留学生が同室で、毎夜のように韓国はもとより、中国、台湾・・・諸々の留学生が訪れるのである。
で、当然に酒を飲みながら議論が繰り広げられる。
皆、真剣だから語気も荒くなることもある。
が、聞くべき意見とあれば、自説に関わらず認めるという風潮があったものである。
*議題がいかなるものであったかは、想像出来ようから触れない(苦笑)

それが、どうも当たり前でないらしいと知ったのは、なんと大学卒業後のことである。
どうも世間の大半の人は「始めに自説ありき」らしいのだ。
これには、ひどく参った。
議論するのは別に良いのだが、詭弁、本論すり替え、なんでもありである。
なんのための議論なのか、当時の驚愕と言ったらないものだ。

モノゴトを追求する姿勢が、そこにはない。
ポーズだけはあっても、自己顕示が主たる目的なのである。
Mさんのような例外事例もあるので分かり難いことがあるが(失礼)、
追求姿勢を崩さねば、自然と「ソコ」は分かるものだ。
*私も、個人的な状況(酩酊など)によりご迷惑をばかけることはある(回廊さん、ごめんなさい)

私は、ライフ・ワークでは「師匠」と呼べる人を見出すのに、実に20年以上を費やしている。
*師匠なくして「追求」出来るほど、安易な世界は、そうはないことを理解されたし
だから「追求」することの労苦は、その観点からも分かるのだ。
20年の間、捨てに捨て去ったモノがどれほどになろうか?
そして師事することが目的でない以上、今の師匠すら絶対ではない。
その元を離れることもあり得るのだ(今のところ、まず考え難いが)。

文学系で、たとえて言おう。
75歳で芥川賞でも直木賞でもとったようなもんなのだ。
キッカケは掴んだらしいが、何分、残された時間がない。
(自分なりといえ)文学を追及したいと想っていたら、
この期に及んで外野の声など聞いていられるだろうか?
見栄も体裁もあったものではないのである。
しかも、私の場合は金にならない・・・(涙)

しかし私は、永らく、それが「当たり前」だと想っていた。
学者なら、自説を越える異説があれば、せめてもの余命をかけて、
自説への想い入れと同様の熱意で異説の素晴らしさを説くだろう。
本人が死ねば、自説など上行く異説によって簡単に駆逐されるのだ。
そんなものに固執するよりも、優れた異説の出現を喜ぶのが本当ではないのか?

というようなことを、時折、ネット上の議論で遊びながら想う。
(これを読む方との場合のほとんどは、遊びではないことを御留意されたし!)
遊んではいるが、私には残された時間は少ないのだ。
時間があると想う方は嘲笑して読み過ごして頂ければ宜しい。

その遊びの姿勢にも、その人の「なり」は表れるものなのである。

真摯に追求を重ねる人に対する礼儀というものは、あって然るべきである。

2006-08-23 01:48 : 消去一葉 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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非公開コメント

自分なりの追求
まだまだ若輩者で文学たるもの云々を唱えられるほどの自説持論はまだ持ちません。
私はいろんなものを読んで好き嫌いで判断していたりします。
それに対しての評論云々を語れるほど私は出来がよくはないので。
往々にして勘的なもので全てを捉える傾向が私にはあるようです。
自分の詩もほとんど何も考えず感覚的に掴んだものをペンの走るままに書くことが多いです。
それが人の共感を得られるのであれば嬉しいと思いますし、自分にふさわしい近い何かを更なる何かで磨いていこうという姿勢はいつも大切にしています。
笑われるかもしれませんが、堅苦しく考えず、間口は広くいろんなものを受け止められるようになっていきたいと思います。
2006-08-23 13:04 : ajisai URL : 編集
まっくさん。
なにかいやなこと、あったのでしょうか。

ぼくは、何か、すべて過ぎ去った事柄を、ブログで再びくりかえしているだけのような気がしていました。最初は、遺書みたいな感じで始めましたが、読みに来る人がふえ、守ってしまうものを発見し、違うものに文句を言ったりするようになりました。

発見が始まったのです。学生時代のようです。みんなに感謝しています。不本意な自分に向かって引きずられています。まっくさんよりも時間、持たないかもしれないのに、です。
2006-08-23 15:48 : M URL : 編集
ajisaiさん、こんにちは(^^)
>間口は広くいろんなものを受け止められるようになっていきたいと思います。
その通りだと想います。
一緒に、Mさんへのコメントをお読み頂ければ、幸甚です(^^;
2006-08-23 19:18 : まっく URL : 編集
いえいえ!!
Mさん、こんにちは(^^;
今、昼寝から起きました(苦笑)。

昨夜、寝付けないままにブログを伝っていたら、あまりに不毛な、というか、明らかに見栄の張り合いを延々と続けているようなコメント応酬を見てしまった感想なのです。多分、若い方だと想うのですが・・・
その関係者はブログもFC2でもなく、(コメント、TB含む)リンク関係もないので、見に来るとしたら偶然でしかないのですが、日ごろ、交流させて頂いている方々に誤解があっては、と(あ、これを書けば良かったんですね 汗)。

>発見が始まったのです。学生時代のようです。みんなに感謝しています。不本意な自分に向かって引きずられています。まっくさんよりも時間、持たないかもしれないのに、です。

Mさんの過去記事を時折、拝読させて頂いているのですが、最近のものになるに連れ、Mさんの脈動(?)を感じることが多いな、とは想っていました。
時間は、いつでも途切れ得ると想うんです。だから、こんな記事を書いてしまったのですが・・・注書きを大書しておきます(滝汗)。
2006-08-23 19:37 : まっく URL : 編集
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