海(*)を去りぬれば

海を過ぎ去るとなにもなかった
海辺での想い出は昏い光に沈み
海辺への道は下る坂ばかりに変わり
海辺で告げた愛は偽りになり
海辺の情緒は空しいだけのものだった
語るに足り過ぎるものがあり
ことばを超えるものがあり
すべてを託して尚、尽きぬものがあり
別れを告げるべきものとして海はあった
海岸線/砂浜/波/海面/海底/水平線/etc.-
磯からの潮風に打たれてなお下る砂丘
愛想のいい女性の商う土産屋
車の排ガスに無関係に天日干しされる干物
夕暮が訪れて尚、止まることのない嬌声
花火を打ち上げる若者たち
出遭いを求める男女
憩いの場とする老夫婦
密かな艶事を秘める旅館や温泉
空さえもが海を去ると違うものとなった
海で哀しみに捕えられたなら
そして哀しみから解放されたいのなら
海から去りさえすればよい
海を想い出すことすらない場所へ(どこへ?)
海を過ぎるとなにもなかった
海を本当に過ぎてしまうと
本当に、なにもなかったのだ


ここで改めて言うまでもなく「海」とは<あらゆる置換の許容>である。あるいは空や川、愛や哀しみ、特定/非特定、具象/抽象の類を問わぬ、純粋に<あらゆる置換の許容>であって、丁寧に言えば「ことばを伴う意識の方向性」であり、もっと丁寧に言えば「単なる指向方向」である。
だから「海」は「海」であるとともに「海ではないもの」であり、それは書かれる(ことばを伴う意識)全般に渡って揺蕩う茫洋たる存在/非在でもある。個人的には、その中から「哀しみ」や「孤独」などに、より意識の集中を見るようであるが、それが<いかなる置換であるか?>こそが重要事なのであって、それ以外は些細な修辞上の課題に過ぎない。そして些細な修辞上の課題が詩の本題である限り、詩は詩であり得ないのではないか、というのも個人的実感でもある。
2014-09-04 00:00 : 試詩的終宴 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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