半物質

ここで、むずかしい哲学や思想なんかを
語ろうなんてことは少しも想わない
実際、そんなことは出来ないことだ

ただ言葉を発するとき、言葉が
物質的な無から半物質的な有を
多分、生んでしまうように

一つの言葉を発するとき、使うとき
なにかを現わそうとしているとき
その<なにか>から
<なにか>を奪っている気がしてならない

たとえば「海」と言ったとき、書いたとき
私たちは「その海」から私たち自身を奪っている
だから「その海」には私たちはいるようでいなくて
もし「海」とさえ言わなければ、書かなければ
そこに「私たち」は残っていたんじゃないか
そんな<奪い方>なのだ

哀しいと言えば、書けば
きっと私たちは哀しみからなにかを奪っている
哀しみの喪失の代償として私たちは哀しいと言い
書いているとさえ言っても良いかもしれない

書くことの空しさの半分は、きっと
そんな<奪い>の空しさで出来ている

言うことが書くことより少しは空しくないとしたら
(私は、そう感じるので
それは、文字にしないことで無責任になれるから
<奪う>ことを目にせずに
<奪ったこと>すら忘れてしまうからだ

ならば書かなければ、言わなければ良いじゃないか
そういう合理的な判断が、ここでは働かない
判断そのものが無意味化している世界だからだ
その虚しさに耐えることは、きっと
なにかを書く人が引き受けなければならないことだ
もし書くことで満足を引き受けることが出来たなら
それはそれで羨ましいことなのかもしれない

ああ、それでも
やはり哀しいし、空しいし、海は恋しい
川面は美しいし夜空は好きだ
雨の音、虫の音、雪降る冬、季節…
<奪う>ことは
より多く<奪われる>ことに似ている
2014-10-06 00:00 : 試詩的終宴 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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