感覚器の役目、言葉の役目

「やってしまった・・・」

いいな、と想う文をブログで見つけた時に、
「この作者って、どんな人?」
と想った瞬間に感じる自己嫌悪。
せっかくに作者不詳の文を見れるというのに。

学術・芸術で括られる分野に多少とも触れていると、
薀蓄を嫌う人でも「薀蓄」から逃れ得ている人は少ない。
私の中にもある「そういう傾向」を見ると、一気に書く気力も失せる。

学生時代、バーテンらしきことをしてた時に、よくやっていた「悪戯」がある。
酒の薀蓄を傾けている客に、ワザと違う酒をスッと出すのだ。
プロだった私より遥かに詳しい薀蓄が文でも読み上げてるかのように滔々と流れる。
随分やったものだが、残念ながら違いを分かった人はいなかった。

「感覚」の鋭い人は実在する。
それは確かなのだが、その「感覚」が薀蓄とは無縁に存在するのが可笑しい。
いや、薀蓄と感覚は反比例することの方が多いかもしれない。

薀蓄など一言も発せず黙って飲んでいた人が、小声で控え目に
「あれ?これ、違うみたいなんだけど・・・」
溜息が出るほど鋭い人が稀にいた。
一般的には、純粋に自分の人生を楽しんでいる人ほど、
薀蓄とは無縁に見抜く力を持っていることが多いようだ。
先天・後天的な感覚器などの鋭さも、残念ながら捨てられない。

さてと、何故に薀蓄を毛嫌いするのか?
それはピュアな楽しみを私から奪うからだ。
他人に良くても、自分に良いかどうかは全く別で当然だ。

純粋に「感覚」を楽しむのに、付帯情報は邪魔にはなっても
役立ったことはほとんどない。
「評論家」と言われる人々の言辞など、何をかいわんや。
「言葉」で表現出来るのなら言葉で表現した方が手っ取り早いことも多いのだから、
評論言辞が「楽しみを奪う」のは止むを得ない性かもしれぬ。

実際問題、多くの人が楽しみ利用したいのは、
自分の感覚よりも、誰にでも分かり易い「薀蓄」なのだ。
彩り鮮やかな薀蓄は、それはそれで才能の発露でもあるとは想う。
自分の感覚を、しっくりと自分の言葉に馴染ませるのに寄与することもある。

しかし、である。
「本当に分かる」のなら、少なくとも事前の薀蓄は不要だろう。
感覚器は、愉悦を味わうために存在していると言っても良い。
言葉の役目は、感覚器の役目を奪うことではない。

(初出:2004年12月15日)

2006-09-01 09:53 : 消去一葉 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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言葉では表現できない感覚的なもの。
そういうものも存在しますよね。
例えば料理。レシピの通り作っても10人10色の味。
感覚が物を言うという部分がとても多いと思う。
絵画などの作品もそう。以下に上手く似せても贋作を見抜かれるものある。
研ぎすまされた感覚の持ち主はこの世にどれだけ存在するのでしょう。
文学も叱り、言わずとも作者も分からず読んでみていいものはやはりいいといえる、
そんな気がします。受け取り方も10人10色でしょうから。
2006-09-01 12:55 : ajisai URL : 編集
こんばんは(^^)2
先天的な障害がなければ、人間の感覚は普通に鋭いというか、鋭くなると想いますよ(^^)もちろん、磨かなければなりませんが。
いわゆる職人芸と言われるようなものも鋭い感覚を前提にしますし、どこの世界にでも当たり前にあります。
2006-09-01 21:36 : まっく URL : 編集
こんにちは、まっくさん。
感覚したものを表現するのが難しいんですよね。表現された言葉から、それが独特な感覚なのか、表現力の巧みさなのか、わからないときもあります。
「何か違和感を感じた」その違和感の理由を自分の中に問い始めたときから、表現は始まるのかもしれませんね。最初はちょっとしたトゲにすぎないのでしょう。

それと
>いいな、と想う文をブログで見つけた時に、
>「この作者って、どんな人?」

これって実際に出会ったときにも似たようなことあります。その人が話している内容を聞きながら、その人がどんな人なのか見なければなりません。だからこれは同時じゃないのでしょうか。
2006-09-01 22:06 : M URL : 編集
Mさん、こんばんは(^^)
感覚と表現の距離は、感覚が鋭い方ほど遠くなるようですね。
最近、書きものをするときに「一言」を先行させて、その一言にツラツラ~と付いていくだけの自分を見るのですが、この方法(?)だと書いているときの感覚と表現の距離は縮まるのですが、後で見直すと「・・・」です(^^;

>だからこれは同時じゃないのでしょうか。
多分ほぼ同時、あるいは比例とも言えるかもしれません。
ただ、出来れば「作品」は独立したものとして楽しみたいな、という妄想的願望でして(汗)。逆に、作品から想像出来ない人物であることは「(技術の?)巧みさ」の現われかもしれませんね。
2006-09-01 22:54 : まっく URL : 編集
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