私詩試論(今、私にとって詩とは…

詩とは何か?

このシンプルな問いは詩を書く人、書こうとする人にとって時に、なんとも悩ましい。
どれだけの先人たちが、この問いに対峙し答えを見出そうとしてきたのだろうか。あるいはスマートにクレバーに端的に、あるいは泥臭く狂気に満ちた探求をも厭わずに。ここ数日来、私もこの問いから離れられず、しかし生活は潤沢な猶予を与えてはくれるはずもなく、さりとて悶々としながら浮かび上がる想起が止むことはなく、ようやく一応の納得を自らに与えるに至った(あるいは納得するしかなくなった)。



(Ⅰ)詩とは多分、私たちの内的現象面に多く目を向けるならば、森羅万象との交合によって生じながら、常に無形の混沌に沈みゆこうとするモノゴトを、言語の持つあらゆる可能性に賭けて有形ならしめようと試みられた言語化の限界域における、ある種の挑戦の産物である。

(Ⅱ)詩とは多分、その外形的現象面に多く目を向けるならば(しかし、それは多分に内的現象面と関連して縺れ合う)、言語的要素として原始性と直感性の高い音韻や韻律、そして多く簡素な直接的表現のみでは現わしがたいものを示そうとする修辞法という二つの言語的技術に強く依るべからざるを得ない傾向を特異な特徴として有してしまう言語的表現(芸術)形態のことである。
*あるいは音韻や韻律も修辞のひとつというべきかもしれないが、敢えて別に示す意味を心得たい



いずれにしても、この二つを主軸に簡潔に示すならば、
「詩とは、言葉にし難い想いを言葉にしようとして音韻や韻律、修辞法を駆使した言語表現形態の一種である」
と言えるかもしれないと、今は想いきるよりない。

しかし、この一種の定義によって詩という存在の、ある種の明快さと、また、それが決して他の言語表現と相反するものなどではなく、むしろ一種の共存関係にあることにも納得出来るのだ。詩は、それが社会的テーマを扱い、いかに散文性を持とうとも、つまり詩には馴染み難いと言われる方向を指向していようとも、ついには上の二つの要素を大きく外れることは叶うまい。
一方で小説や評論、哲学や各種学術文(そこには数学表現もすら含まれる)などの中にも「詩」が多く見出されることも当然であると得心がゆく。いや、むしろ文芸諸分野すべてに亘る活動において、詩たる在りようが見出されるのは極めて自然なことだと言えるし、少なくとも、その内的現象面においては、あらゆる言語活動が詩であり得る。

また、この試論を「私詩試論」と名づけたのには意識的な理由がある。
小説において「私小説」や「社会小説」と言われる分野が存在するのに対して、通常、詩には「私詩」「社会詩」と言われるような"分野(区分)"は見受けられない。しかし分野の存在の有無などには関わらず、具体的な詩に対しては「社会的」というように評されることはあり、その先行を前提にしてか「私的」と評されることもあるようだ。
しかし、このことは逆説的に「詩は本来、私的なものである」という、あるいは暗黙の了解を示しているのではないだろうか。

言うまでもなく詩も社会性を持ち(帯び)得るものだ。
しかし(多く、ある一個人の)内的現象面と強く関係する点で小説などとは少しく異なる指向性を持っており、その関係の仕方は上述した通りなのであろうと想う。だからこそ詩を考えるとき、その私的側面を強く意識することは、むしろ必要なことなのだと強く感じるのだ。この「感じる」は、もちろん、詩人の戦争責任を強く意識している。本来的に詩が私的であることにより社会的側面(「社会」との交合)の放棄に向かいがちであり、戦争という悲惨な社会的営みにさえも無関心はおろか、惰弱であったり、むしろ容易かつ積極的に与する可能性を持つことは、反省的に意識されて良いことであろう。また、この点において詩が、批評や小説に限らず思想や哲学など諸々の他文芸分野と密に関係してゆく大きな動機のひとつがある。

滔々と、なんとも無益かつ下らないことを考え書いたものだとは、つくづくに想う。
しかも書いたとて私自身、こんなものに縛られる気もサラサラないし、先達に教えられた詩観の自由、これを侵害すべき愚に陥るべきではないことに強く同意する。
なにより私は、小難しいことも、楽しくもないことも、本質的に大嫌いである。

しかし詩について、このように想い悩み苦しんだことや、この個人的苦悶なども、また私のなかで混沌たる無形に沈みゆこうとしながらも有形ならんとしたモノゴトなのである。なぜならば、やはり私は詩が好きであるからなのだろう。かなり「いい加減な好き」ではあるだろうが、それでも好きなのである。それが「何か?」を探る愚昧に導く「好き」であったにしても、だ。

そして特に、美しいと感じる詩に触れた瞬間!
「こんな私でも、やはり生きていて良かったな…」
と、本当にそう、想い出させられるのだ。

(2015.01.14.)

2015-01-17 00:00 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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