生き場所、死に場所

早く逃がしてやろうと想っていたコクワガタだが、9月を迎えてしまった。
今晩は少し涼しいせいか、餌を少し口にしておが屑の中に、すぐ戻っていったようだ。
ある種のクワガタは越冬するがコクワガタはどちらだったかな?などと想いながら、昔、よく飼ったスズムシのことを想い出した。

草地から聞えるスズムシの音は、涼風ふく晩夏の頃から元気になり出して、霜の下りる頃が近付くといつの間にか消えている。
しかし家屋で飼っていると、信じられないほど長生きする。
記憶は定かではないのだが、最も長命だったのは1月まで生きていたのではなかったろうか?
いずれにしても、霜の季節をゆうに越えて生きながらえていた。

「生きながらえていた」というのは、まさしくその通りで、家屋内とはいえ暖かいのは寝静まるまでで、やはり夜の寒さとともに衰えを感じるのだ。
鳴声は微かになり、羽を摺り合わせるだけのようで、とてもメスを呼ぶ、あの高らかな音には程遠くなる。
弱った個体には早くも眼に見える大きさの名も知らぬ白い虫がたかり、やがては小虫の餌と化して動きを失ってしまう。

通じて見ていると、やはりメスは強いようだった。
白い小虫を体にまとわせながらも、末期の力を振り絞るように卵管を土に刺し、精一杯に力を振り絞りながら産卵していた様は痛々しく、しかし「為すべき事」を知っている者の持つ、あの気高さに満ちていた。
とてもではないが、安楽死などさせられる様ではない。

そうして、やはり次の年を迎えることが出来ずに死んでいくスズムシ達なのだが、考えると不思議な気がする。
生き長らえるなら、単純には暖かいところに住んでいればいいはずなのだ。
なのに何故、彼らは老い先を縮めてまで、この近所に住まっているのか。
もちろん、暖かい地方には敵も多い、ということもあるだろうけれど。

飼っていたスズムシを見ていると、むしろ彼らは自らの生きる場所を選んでか知り、それとともに死に場所をも知っているかのようだった。
死ぬことを恐れていないわけはないと想う。
死ぬことを恐れてないとしたら、それは生まれてきた由縁を断ち切ることになってしまう。
彼らには、彼らにしか分からない生と、死があるのだろう。

私は死にたいと想ったことがない。
死ぬときは死にたくなくても死んでしまうわけだから。
自分が死にたくないから、スズムシですら生きようとする「意思」を持っているように見えるのだろうか?
それでも避けられない「その死」を受け入れることは、「その生」に対する最大の賛辞になるのかもしれない。

やはりコクワガタは、早めに逃がしてやりたいと、そう想う。

2006-09-01 23:43 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

拝啓




Author mak From "空白"

想一葉、兼訪問帳

星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
Both by mさん

【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

For Admin

落書内検索

月毎落書

一言お報せ

リンクは勝手に頂戴、削除してます
ご迷惑な場合は、ご一報下さい



メール・チェックは非常に稀です


BlogPeople

出現するかもエリア-転記候補