恋人の空間

一種類の花の名前を覚えただけで無数の種を滅ぼした。
けっして回避できなかった今日が滅亡してゆくのを、もろい岩が風に斃れるように、影が静かに命を手放すように、視線が光を忘れて彷徨うように、どのようにも感じながら一種類の花の名前だけを与えた。蛮族の集う海上の孤島、漂流物だけを奪い合う逞しい肉塊、汚物だけから生まれる生き血を啜る幼子に母親は目玉を失ったままだ。

想い出すのは幾度でも、無限のように車両が渡り続ける細い川の鉄橋、橋脚を立てる幅さえない川に照りつける昼の、真昼の光。季節など、どんな季節でも良かった。真夏であろうとも真冬であろうとも。ただ、それが未踏の高原の一本の木を無上の美しさに仕立て上げるとしても、雲だけは認められなかった。むしろ汚水処理場に流れ込んでゆく泡吹く流れの方が美しかった、その川になら。

土手の上から静かに見下ろす影には持ち主がいなかった。想い出す人もいないだろう、永遠に、(という表現が許されるのなら永遠に、)だ。影の持ち主、そのような抽象的な概念は必要なかったから、私たちはそれさえ知らなかった。
「私たち、恋人なの?」
そう問うことすら覚える前に、きみは立ち去ってしまっただろう、星空の下で私は息吹く。まだ浅い色しか帯びていない芽が息を吹き返すように息吹く。それだけでも風が吹くように、それだけでも哀しみが訪れるように。
「覚えているかい、あの花を?」
だれも答えない、だれも答えてはならない。うち滅ぼされた種として、だれも答えることはできない。
2015-02-14 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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