季節の狭間として日常は

季節より早くめくられるカレンダーを手にして、だれもが戸惑うだろう。
それは、あの青空の季節よりも遠いだろうか、あの想い出のなかで想い出よりも近しい妄想の記憶に似た色情の季節に、むしろ似ているのではないか、むしろ街路をゆく人波の足音よりも古めかしく風に逆らう昔の新聞紙のように、ただ機械的にめくられるべきものなのではないか、などと。いくつかの問いを手にしたままなら考えに浮かんでくるはずの無数の窓、真っ暗で初めての褥だけが見える窓のような問いならば、もはや季節を遠く過ぎているだろう、などとも。

どこまでも広がって見えるだけの重なり合いのなかに浮かぶ丘のように、雲はいつもの表情しか返してこない。まるで、それが始めてで終わりの答えのように、雲は表情を変えることがない。もし重なり合う死と死が、あるいは生と生、死と生と死と生などの無限の繰り返しのただ中に放り込まれようとも、ある種の偉人たちの威厳を伴いながら変わることがない表情のうちに雲の無表情を見出し、そこに住まう私たち、見下ろせば哀しみに、怒りにうちふるえることすら許されない束の間を生きていると想っている私たちだ、疲れた視線の見下ろすのは。
いつも早過ぎる季節を嘆き、遠過ぎる季節に想いを馳せ、過ぎ去った季節すら取寄せて嘆き、しかし何も変わることのない季節を、私たちは疲れている。疲れているのに分からない、疲れていることを、知らないのだ、疲れていることを。
カレンダーを乗せてゴミ収集車が通りすぎる、夕暮だって、まだ遠いくらいの季節が、もう過ぎ去ったようにやってくる。
2015-02-17 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

拝啓




Author mak From "空白"

想一葉、兼訪問帳

星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
Both by mさん

【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

For Admin

落書内検索

月毎落書

一言お報せ

リンクは勝手に頂戴、削除してます
ご迷惑な場合は、ご一報下さい



メール・チェックは非常に稀です


BlogPeople

出現するかもエリア-転記候補