君がいるところは知らないが

その系譜のただなかにあって哀しみとか愛だとか、そういう言葉を使いたくないときは少なくない。
新しい言葉が欲しいと想えるうちは、まだ良い方で、なにも言いたくない投げやりとでも言うような気持ちと、それでも何か言いたいという気持ちの間で揺れる。
ひとが揺れるものに魅かれるのは、きっと、そんな何かがある。
ブランコに乗るのは、きっと、そんな何かに似ている(だからと言って、その人が揺れているばかりでもない)。
言い尽くせ、言い尽くせ、せめて言い尽くせ、と想いながら言葉は紡がれる。
「どこまで?」「終点まで」
それは哀しいことか、虚しいことか、切ないことか、負に負を重ねてゆくだけのことか。
私たちの負う負債はあまりに大きく、それを量りたいと想うだけでも愚かなだけの、そんな程のことかもしれないとも想う。
あまりに大きな期待を負わされて、それが言葉なら、悲鳴を上げる間もなく窒息してゆく。
使いたくない言葉を重ねるだけで詩になってしまうようなことは、慎重に避けたいと想いながらも、それも中々に難しい。
だから私たちは私たちの文脈を創ろう、涸れても涸れても、何度でも。
ありえない「私たち」を果敢にも謳い、信じるに値しない文脈を流し、疲れ果て、
しかし、私には君がいる。
どれだけ遠く、もしや知らないのにも関わらず、君がいる。
君がいるのだ、私には!
2015-03-10 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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