過去メモ~20150515転記

適当&ランダムに(一部改変)

何度、別れても繰り返される別れというのがあって、そういうときには自分が別れの一要素になったかのような気にさえなる。しかし、やがて別れさえ別れでなくなるときがくる。

九月というのは不思議な月で、夏明けで非常に長く感じることもあれば、あっという間に秋だと感じることもある。今年の九月は、どうやら後者のようだ。虫の音が耳に心地良い、風の具合も良い。

徒歩、自転車、車、電車…それぞれのスピードで、それぞれ変わってゆく景色のようなツイートを眺めていると、まるで緩急のある言葉のなかを下っているかのようだ

今日も明日も悲観も楽観も溢れるほどある

大切な人を喪ったときにも普通に今日が訪れたように、自分がいなくなっても大切な人には普通に明日が訪れるから心配はいらない、大丈夫

経験上、純粋な呟きほど意味の不明度が高いが、意味の不明度が高いほど純粋な呟きというわけではない

「重い雲」「雲が重い」という表現があるが、今日の曇天がまさしくそんな感じで、まるで雲が空の向こうに落ちてゆくようです…って、方向が逆じゃねぇのか?

鉛筆の芯を削っていると、自分の神経を尖らせているような気になることがある。今日がそんな日のようだ。

同じ人を待っている他の人がいるとして、待合傘というのがあるとして、その待ち人とは同じ雨音を聴いていたい気がする

ああ、遠過ぎる…いろんなことが遠過ぎて、焦燥感だけが空しい胸を吹き過ぎてゆくので、哀しみに似た虚しさと戯れている

「ことばは流れてゆく、月明かりの流れに、雲の流れに、夜の流れに
 人は無言のなかに、閉じ込められてゆく」
希望を創造するのは、絶望だけだ

一つの物語が一つの契約で始まったように世界が始まり、契約に基づいて結末を迎える。契約こそが終末論を支配し、しかも契約内容は一方的かつ可変的なものであるという思想がある。

愛は常に哀しみと隣り合わせで、ほとんど同一のものと言ってよいほどのものだ

哀しみの存在しない地点と哀しみの極地点は「対象不在への問い」がないという点で同一だった

くちびるが呟き忘れたいくつかを指がつぶやく

夜には昨日を忘れた恋人だけが他人のフリをして逢いに来る。

もし人の心に感情というものがあって、それが<私>の外部に向かって開かれているものならば、何故、哀しまずにいられるのだろうか。世界の哀しみの総量というのは、哀しみでないものより少ないのだろうか。

きっと待ち続けた人の名前は変わっていて、私はそれに気づけない。気づくのだけれど、始めて出遭う人になる。イニシャルの違いほどにも違わなくても、始めて出遭う人になる。

自分の「内部」で生じている積りでいても、思考の相当部分は「外部」に依存しているし、「内部」にあってさえ「脳」以上に「身体」に依存している。そう考えてる私が思考なんて信じられるわけがないだろう、と自嘲気分だったり。

気づいたら真っ暗で、迎えたはずの夕暮さえ覚えていない。昼の世界から夜の世界にワープしたみたいなスリルを味わった長過ぎた昼寝なのでした。

無機質なもの、生命から遠いもの、存在から遠いもの…眠りに向かう過程には、そんな諸相が入り混じっているというのが、辛うじて感じ書き留められることだった。

眠気のなかに何かあるんだが、どうにも見つからない。

最近、ただのA4用紙(白紙)ばかり使ってたけど、ノートというのも良いな、と。それもバインダー式じゃなくて普通の罫線が引いてあるノート。後戻り出来ない切実さがイメージになった事例ですね、多分。

意味ある朝なんてあるのだろうか?と小一秒

室内犬を飼っていると顔を舐めに来る恐怖の朝がやってきてオハヨウゴザイマス今日も最悪の幕開けですと意味の分からない朝が迎えられますね。

月明かりに照らされているかのような虫の音たちが、月の隠れた夜を横切ってゆくように、つぶやきたちが私を横切ってゆく。

多分、溺れるようにしか人は愛することが出来なくて、愛するということは溺れることと同義なのだろう。それも、なにも知らない海に溺れるのだ。

愛しい人が哀しみよりも遠くへ去ってゆくことほど哀しいことはないとしたら、そのことを以て哀しみより愛の近くにある私たちを、それでも幸せとは呼べないのだろうか。

涙よりも夜空の方が、愛と呼ぶものに近い存在であるということなんだ、きっと-

涙が流れる理由を知ったら、だれも夜空を見上げることはなくなるだろうと想ったら、夜空って、なんて儚い根拠の上に存在するんだと、少し哀しくなった。

詩人じゃない人なんて、本来、いないんじゃないか?と、ふと想ったりすることがある。

信じることが、ただ待つだけのことだとしても、それでも私は信じずにいられないし、信じ続けよう

「どこまで行ったら涯が、ゴールがあるのだろうか?」と心底、想う地点に辿り着いたら、出発点付近に立てたと考えて良いと想って自分を慰めている

もっと女心を解していたら、私も、もっとマシな付き合い方が出来たかもしれない。いくら美しい月が同じ空に浮かんでいても、見える場所にいる人、見えない場所にいる人がいるのだ。

「渡良瀬橋」は女性が描いた男性目線からの女性主人公だと言える。(特に中年期以降の)男性に共感者が多いのは、男性から見た女性を的確に描かれてしまったからだろう。

月が美しいと聞いた夜空に向かってブラインドを閉じた。時として美しさには、壁が与えられる。

決心なんて決壊するためにあるのさ。

国家という宗教舞台で国民という形で生贄が、税という形で血が捧げられ、官吏という司祭、政治家というシャーマンの下、粛々と儀式が進行される。

秋の雨は意志に従う。夏の雨は気紛れだけを頼り、冬の雨は運命に支配されている。春には雨が降ったことがないが、きっと花が降るだろう。もう関係ないはずの次の夏を待っている。

誰にも要求されない呟きだけが本当の呟きだ

「雪だけを愛して秋の雨が降っている。
 降るまでは止んでいた雨が降っている。
 雨音が世界中の窓を叩いている」

私の努力不足なんかじゃないわ!すべて世界というオワコンに賭け負けたというだけのことなのよ…

あらゆる種類の、あらゆる窓は、拒絶に向かって開かれているのだ

「せっかくですけど、お断りしますわ」と、唐突に言ってみたくなったのだけれど、誰かのお申し出がないとお断りさえ不可能だという世界の不完全性に異議申し立て中

私の過剰が愛の欠如?そんな想い上がりが許されるのか?

愛の過剰が私という存在を奪ってゆくのだ。

気化熱を存分に堪能している夏と秋の間を蝉の鳴声が欠けてゆく、私も欠けてゆく。いつでも愛だけが欠け続けていた。

希望を持つ位しか想いつかないくらい絶望的じゃん?という、実は厭世的楽観主義なのが我が家の家系的人生観らしい。

翻訳であっても原典を読むと意外と分かりやすいというのは、ほとんど確信に近くなってきてる。概説書類は解説者の考えが反映されて別ものに組み替えられてるからかもしれない。つまり自分勝手に読めば読めるということだろうかと推測中。

詩を定義するのに「限りない本音や本心」というのを入れたいなんて純粋さは、もう持ってないのに、どこかで信じたい心も棄てられない。

喪ってきた何か達の分だけ自分に戻っていっているような気がする。その穴みたいなのを見てると、そんな気がしてくる。
「多分だけど、死んだ後も継続する魂なんていうのを発明して以来、ロクなことがない。

 永遠に喪われ得ないなんて救いのなさに対抗しようとしたら、おおよそ宗教なんかに避難するしかないじゃないか。
 (喪われた喪失と退行)」

優しさが残酷さでしかないことがあって、優しい人というのは、そのことを理解して、相応の強さで自己を律する必要があったりする。世界はどこまでいっても優しさが嫌いのようだ。

不倫というのは、むしろ最初に相手に対する倫理を欠いている関係のことだ。結婚相手に不満があるなら生活上で解消する努力をするか、離婚すれば良い。ただセックスしたいだけなら自慰の延長みたいなものだけれど。…なんて機械的な「答え」なんだろう。

恋を喪った夜というのは、その空気の冷たさだけを残してゆくものだ。その冷たさを温かさに変えてもらうこと、それは次に恋した人に求めてはならないことで、一つの礼儀だとすら想う。

情緒的な写真というのは、無反省的に美しく感じてしまう一方で、写真の大事な何か…最大の特質を喪っている気がする。

(宗教)戦争をベットに疑似的に持ち込んだのがセックスであるという話しは、きっと聞いたことがある気がするだけだろうと想っている。むしろ逆のような気もする。もっと言えば無関係という気がする。

「春夏秋冬」を並べ替えられるとしたら、どんな順番が良いか?実りの秋に生まれて、健康な夏に育ち、逞しく鍛えてくれる冬を超えて、穏やかな春に死ぬ。「秋夏冬春」が私の理想に近そうだ。

哀しみは過去と未来の二つ方向から訪れると想っていると、足元に転がっていたりして…蹴飛ばしても空は受付けないし、ね。消えるくらいなら現れなきゃ良いのに、なんて現れちゃってから想う後の祭り。

曇天で始まる秋を背泳ぎで泳ぐように眠ってみたい…ので、少し眠ろう。次に目覚めることが出来たなら、雲も見えない夜だろうと残酷な祈りの声が囁いている。ってのが本当だったら、いよいよヤバイよね、っと。

閉鎖的な全体性に対して開放的な全体性というものがあって良いんじゃないか、と考えて書き物をすると支離滅裂になるわけだが、なんとか辿りつこうと足掻いている。しかし意味があるかどうかなんて知らんぞなもしw

ある一枚の写真のような恋の経験はないかも知れない。止まる直前で止まったままでいるような、ね。忘れただけかもしれないが。

空…のように見える秋を見ながら、言葉を置かないままの改行を延々と繰り返している。

社会なんかを糾弾したりする前に自分を責めるなんて、どんだけ健全な育ち方をしてきたんだよ、と。

いよいよ本当に自分がどうしようもないヤツだと知るようになると、「どうしようもないヤツで…」なんてことも無意識化しちゃって言わなくなる。そう言えてる間は、どうしようもある人だと想って安心して良い。

向かう先を知らないので休むこと、ひと息つくことを覚える。見えないことが幸せであるという虚偽に耐えながら、見えないことを覚える。

盲目の愛とは、偶然の愛を言い換えたものと言って良いだろう。盲目でない愛は、愛にすらなれなかった愛を言い換えたものである。

桃太郎は切り裂かれた両親の蜜月から生まれ、両親を退治する不良少年であったが、祖父母の溺愛は拾得という偶然から始まった。

眠ることが出来ない時間帯として夜は定義される。眠られる夜は創造され、破壊され、遺棄される。

俯いて地面に視線を落としたまま天気の話をしている。視線を向けられたものは語られることがないし、語られるものは視線を向けられることがない。

虚無なんて無謀な横溢には耐えられない。だから常に不足を求めるということだ。不足している分だけ生きていることが出来るというだけのことだ。

生きる意味を見出せる人生なんて恐ろしくて生きられないというのが、健康的な一般人なのであって、その意味では私も至極、健康である。

読みたいと想った理由があるはずなのに想い出せない書籍名リストだけが、読書した証なのだ。開いたことのない本だけが開かれた本であるというだ。

いつものように、本を読もうと想い立った時から読まないままの本だけが積み重なれられてゆく

選択しないこと、放棄することが人生への復讐なのである

人生のアレコレは選択出来ると信じる人の人生は悲劇的であり喜劇的である

良い詩や良い文学作品は、残ることなく消えていった(ゆく)作品のことである、ということだ

SNS系ゲームをしてて分かったことに、嫌がらせがプログラム化出来るということがある

逆に言えば、好意的なこともプログラム化出来る

私達の気に入る、気に入らないという好悪そのものがプログラムでしかない、ということである

プログラム化された<私>だけが私なのであって、それ以外はプログラム化されなかった残滓に過ぎないわけです

もっと面白くないことをつぶやかなくては、とも改めて想いましたが、それは非常に難しいことでもあると想います

いつも変わることなく、面白くない場所であってくれることが、こんなにも嬉しいことなんだと知りました

愛について語ることが、愛から最も遠ざかる、簡単で確実な方法だと誰もが知っている

正しい事実認識ではなく、正しい事実誤認こそが要求されているのだ

泣けないことより泣きたくなったり、涙が流れそうになることの方が恐ろしい。ほとんどの場合、理由が想い当たらない。機械油が流れるように涙し、機械的に泣いているだけなのだ。

再生が死を淵源とするように、死が再生を淵源とする。決して訪れないものとして死は定義され、私達の希望と絶望の一つに組み込まれる

怒りは向けるべき対象の本質的不在から生じる感情だが、愛が向けるべき対象を本質的に有しているわけでもなく、有していないわけでもない。そこで、存在と不在との間で生じる感情だとしておこう。

人が死を望むのは、それが全てを覆い尽くすという幻想に因る。しかしそれは幻想であり錯誤でしかないのだ。死は覆い尽くされる、<ただの一つ(の対象)>でしかない。

書くことが暇潰しじゃなくなったらプロになれます。

歩く時にだけ振り返られない道が現れては消えてゆく

悲しいことがあると、閉じる皮の表紙

逃走線は逆走するために引くものであって、逆走されない逃走線は始点に留まる。

どこにも行けない時とは、どこにでも行ける時である。進む力さえあれば、ではあるが。

そこに至るはずだった可能性を知る、事後の残酷さは途惑いとなるだろうか。それでも私達は、事後の残酷さに晒され続けなければならない。その残酷さを生きることとして生きなければならないのだ。

恋とは忘れ去られようとする記憶である。忘れられようとする、その中で私達は立ち止まり続け、何もない後ろを振り返る。そこに何もなかったことを知るまで振り返り続けるのだ。愛に至る必要はなく、ただ忘れられるまでの振り返りを恋として愛するべきなのだ。

男は女の快感をもらい受けて、始めて自らも快感への階段を登り始める。女の快感をもらわずに登ることが出来るのは少年の証であり権利だとも言える。

光りを浴びたいがためにトンネルに突っ込んでゆく、山の一方が崩れたトンネルに。入口は出口のままで、出口は入口のままで塞がれている。

それは勿論、浮動性のものであっても良いのだが、資本主義に着地点はあるのだろうか?その不透明さが侵す全てのものの一つとして問いたい。

「夜の風は眠りを妨げるが、風の夜は眠りを誘う
 忘却の恋と恋の忘却とが違うようなものだ
 今夜は風の夜が恋の忘却を覆っている」

心は意識の中には存在しない。心と意識との同一視は言語と言葉との同一視に似ている。

偽りの恋人だけが本当の夕焼けを見せてくれる。だから偽りの恋人にしか恋しないし愛さない。そんな恋と愛だけが美しさを連れてくる。女房と見る夕焼は、本当に綺麗だ。

早寝する積りなら0時過ぎにログインしちゃダメだな、と。新聞配達のバイクの音がしてると想ったら2時半。季節を一番、先に感じる人たちかもしれない。お疲れ様と言えないのが少し残念

呟くことのない一日を過ごして、ただ白いより真っ暗なだけの時間の中にいれたら眠っているということなのかもな・・・もう言葉に疲れてるんだよね、多分。

より強い痛みが、それまでの痛みを消してしまうように、もっと酷い傷痕も、それまでの傷跡を消してしまうなんてことはない。痛み止めなんてマヤカシだけど飲まずにいられなくて、飲む度に自分の弱さと向い合せられている。

「書きたくない」という欲求は「書きたい」という飢餓感から産まれるのかもしれない。

食事は対話の中に存在する。対話がないのは、ただの飯だ。弁当屋、コンビニは複数種の弁当を陳列しているのではなく、他愛もない問い掛けを並べているのである。食事には記憶に残る可能性があるが、飯は記憶に残らない。

「どうでも良い」と想う時ほど、「どうでも良い」と想っていないことを痛感させられるときはない。本当の喪失は訪れるのではなく、創造されなくてはならないものなのかもしれない。

どうせ愛なんて信じちゃいないくせに、と言いかけて「愛を信じたいよね」と言ってしまう。

眠気を連れてくるものの正体が分からないまま、それでも眠気に身を任せる、その正体は知られてはならないもの、知ってはいけないものなのだ

浅く、浅く、どんな愛よりも浅い朝が明けると、もう昼に近かった

<私>も<世界>も同時的相互承認という幻燈です

我、疑う。為に我、存在せしめられる。
- 懐疑内在論的存在叙説 -

速乾性の接着剤を用いると離れることは難しくなるようで、慌てて皮膚ごと剥がしてしまった時の痛みは長く記憶された。頭では忘れたはずの痛みを剥がれた皮膚が想い出す。

春は冬を手放さない。冬を手放してしまうと春は終わりに向かわねばならなくなるからだ。冬を抱えたままの春を愛しむように、地は静けさを保ち続けている。

別れたとしても、きっと何処かで出遭ってしまうという予感が別れを遠ざける。出遭ったとしても、きっと何時か別れてしまうという予感が出遭いを遠ざける。出遭いも別れも同じこと。

本当に愛された本は、その表紙を触れるか触れないかの優しさで撫で愛しまれるばかり、いつまでも読まれることがない。

「人の行動って、ほとんどプログラムだよね」とSNSで知り合った女性と話していたが、実際、面白いくらい定型がある。それを閉鎖的全体性と言っておこう。

「終わることは恐怖である
 終わらないことは幸福である

 終わらないことは恐怖である
 終わることは幸福である」

夜が行ける限りの果てを見渡しながら暗闇の中に夢を見よう、決して星の光が届かない夢を

桜に咲く暇も与えない春が通り過ぎてゆく川縁を、桜の花びらに包まれて眠っている

何処にも繋がらないまま、ただ伸びているだけの道を探しているだけなんだと想う。生きてゆくなら、そう生きたいと願っているんだろうと想う。

娘が化粧を凝らすたびに愚かになってゆくという復讐を仕掛けてくる。 復讐以上に恐ろしいのは、化粧によって愚かになるという自覚があることだ。 この一見、無目的に見える化粧の戦略性の行き着く先が憂鬱だ。

化粧によって決断力、選択肢を捨てる力を得るのだ。「大人になる」ということだ。 最近は男も化粧をするという。 昔の武士は戦に臨む際、化粧を施したが、それは死の決意の現れでもあった。

化粧を出来ない男は子供に留まらざるを得ないので、他者を化粧する。 化粧し切れない男は車に乗る。

哀しみの次に何を迎えましょうか
新しい芽吹きを、新しい命を、弔おうかしら
無機質な、あまりに無機質な哀しみは
風のようには吹き去らないのです

(#)

2015-05-15 00:00 : メモ帳 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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すこしの風を追いかけて
【 短文 】
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2015.07.17.

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