なぜ世の中には人生を楽しむ人とそうでない人がいるのでしょう?

楽しみは忘れたときにだけ訪れるので、
人生を楽しむべきものと考える人は人生を楽しむことが出来ません。

ここで、あるいは
「"無心に"楽しんでいる人もいるではないか?」
と指摘されるかもしれませんね。

しかし、その指摘は
「楽しむとは、どういうことなのか?」
と問うことと同化していってしまいます。

そして
「楽しむとは、どういうことなのか?」
という問いと答えの細分化の果てでは
「楽しむ人と楽しまない人の区別」
は、存在しないか、意味をなしません。

ですから、
「楽しみを求めていない人は人生を楽しみ、
 楽しみを求める人は人生を楽しまない」
それが答えとなります。

ちなみに私は、
「積極的に人生を楽しくないものである」
と規定することによって楽しみを享受しています。

そのことによって、
楽しいことに遭遇すると悲しみますが、
楽しいことが訪れること自体は避け難いことなので、
それを一種の宿命みたいなものとして受け容れているのです。
2015-05-28 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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