行方不明の曲がり角で

崖にぶつかっては穏やかに散る花びらのように私が散ってゆくのを見つめている、そこに私がいるだろうし、そこにきみはいないだろう。
-花びらが波のような存在だとして、くりかえし訪れるだろうか
私には分からないことなのだが私がいる以上、そのようなくりかえしもあるのかもしれないと論理は告げるだろうか、告げるだろう雨音に似た預言という形で。

いつでも季節のない街を探して国境さえ越えた、いつでもひとつ未満の季節しか持ち得ない街を探してきみから逃げる道を遠ざけようとしていた。
いつでも遠くから響くように見えるきみの<声>ひとつで破壊されつくすすべてに憐れみに似た愛情を降りかかる雪のように、風を舞いながら散る先を見失う雪のように。

鼓動よりも激しい脈動が鼻腔の奥で破裂をくりかえし、景色を深紅と呼びたい深い黒色に染めてゆく。
そこが花びらの散る始点だとして、私の代わりにきみがいるとして、私は居場所を喪ってしまう、居場所を喪って私は安らいでしまう、その安らぎをきみに赦されてしまうことを恐れてしまう。
やはり季節を喪うしかない、そう想えてくるし、そうとしか想えない早さで斃れてゆくことしかできない季節を見送っているのだ、いつも。

もし、それが遠い、遥かに遠い場所での出来事だったならば私達は、
-愛する
そんなことを軽く言い合うことが、伝え合うことができたかもしれない。
これは愛の定義を問う、あるいは不問にするという問題ではないし、愛など存在しようとしていまいと、同じことだった。
-愛している
それだけで私たちは愛を喪うことができる、そういう論理だけに支配されている、支えられているという<物語>の話だ。

つまり<声>と<物語>が接続しないこと、その不接触点では、ちょうど崖にぶつかっては…と話した<私>がいるだろうし、<きみ>はいないだろう、そういう話だった。
言葉を追いかけてはならない、それはなんら獲物としての機能を持ってはいないのだから。
獲物というものは追いかけられるべき存在すべてだとして、だが。
ほかに獲物を定義する方法を知っているだろうか。
より重要なことのように想われるのは、すべての私が言葉の獲物であって、獲物に与えられるだろう、もうひとつの定義があるように想われた、そういうことだった。獲物というものは逃げることを求める存在すべてである、というものだった。

歯車の、たったひとつが狂っているだけですべてが狂ってしまうように、
そんなに堅苦しいつくりを許してはならない。
複数の、無数の歯車が狂いながら、なんとなく、すべては上手くいっている、
そんな、つくりを目指さなくてはならない。

言葉の獲物になってはならない、もう一度、言葉を獲物にしなくてはならない。
-もう一度
そう想えるのならば、だが。
そう想えないのならばせめて、言葉の獲物になってはならない、
そうだろうきみよ、私という名を帯びてゆく、きみよ、最後にひとつ与えよう。
-私がきみを愛する以上に、かならずきみは私を愛さずにはいられない

そうして私たちは惜しむこともできない別れのすべてを手にして別れを経た。
まるで街灯のない曲がり角を通り過ぎる別れのように。
あまりに強い愛を手に、別れすら完全に近い、なんでもない曲がり角を過ぎたのだ。

初出:BlogSpot(20150620)
2015-07-07 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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