風見鶏の瞳を風は知らない

ゆっくりと回る風見鶏に風は吹いていない。
ただ柔らかな陽射しが絶えることなく指しているひとつの方向、
転変する、定まらない、永遠を…ひとつの方向がある。
風が吹くとカラカラと回る風車の音が乾いてゆくが、
風見鶏は風車の音とは無関係に陽射しを追っている。

階段の縁が磨耗した歳月を語っているように、
きみの髪をすく指に絡まる感触が歳月を示すだろう、
もし、きみが手の届く場所にいれば、だが。

あまりに寒さだけが満ちた夜、
季節は遠ざかり、無数の季節が代わる代わる訪れ、
近づくことと遠ざかることは同じだと告げてゆく。
ここで「遠ざかることと近づくこととは」と書かないのは、
せめてもの矜持だということも書き添えておいたほうが良いだろうか。

さて遠ざかるように近づいてくるものの代表として痛みを語ろう。
きみの不在により感知される、あの痛みについてだ。
宮沢賢治なら水晶やきれいな結晶の形をした様々な、
そう、様々な結晶の先端の鋭利が全身を隈なくつつき続ける痛み、
血は流れても流れなくても良いだろう、
死ぬことさえ許されない範囲であれば、どちらでも同じことだ。

時間というものは結晶に似ている。
本来なら崩壊してゆくのではないのか、そうも想うけれど、
さて結晶の物理的結末はどうなるのだろうか。
その結末を知る前にきみに再会することもあるかもしれない。
痛い、痛いよ、そう、痛いのだ-

だれひとり聴くひとがいない夜などには、そうも呟いている。
きみがいない、きみがいない、と
そんなときに想い出す、あの風見鶏、
あの風見鶏の気持ちが分かるような気がするのだ。

風と柔らかな陽射しとを見比べて、
見比べても選ぶ力さえないままに
風に従うままに、風に無関係に陽射しを追う、
あの風見鶏の気持ちが分かるような気がするのだ。

吹く風に舞うしかないとしても
光しか追えない、この瞳は。
もう痛みしか知らない、この瞳は。

初出:BlogSpot(20150628)
2015-07-17 00:00 : カイエ、詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

拝啓




Author mak From "空白"

想一葉、兼訪問帳

星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
Both by mさん

【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

For Admin

落書内検索

月毎落書

一言お報せ

リンクは勝手に頂戴、削除してます
ご迷惑な場合は、ご一報下さい



メール・チェックは非常に稀です


BlogPeople

出現するかもエリア-転記候補