ツ 過去メモ~20160501~ 分転記

適当&ランダムに(一部改変)

なに色なのか、いまというヤツは

もう、涙もでない、泣き声もでない、喘ぐような呼吸音だけが生きている

占いよりも的中率が低い医術って、なんなん?

愚痴る愚痴る愚痴ります、たまには愚痴りたくもなりますよ

私のような素人レヴェルでさえ「おいおい…」となるような…もう、ほんとうにね、ちゃんと勉強して臨床も積んでしてきたプロの医者はどこぞにおるんね?と、だな

例として現代の日本で「腎虚」の場合は「陰虚(実証)」が圧倒的に多く、陽虚(一般にいう虚証)は少ない、アレルギー体質は典型的に「陰虚(実証)」だと判断して良いくらいなのだが、方向性を間違ったまま処方するから悪化してしまう、つまり「火に油」というやつだ

腎虚という言葉で有名だが、虚証にも二種類あって陽虚(一般にいう虚証)と陰虚(実証)では正反対の処方・対処をしなければならないのだが…ということから説明しなくてはならないの、どうにかしてほしい

夜が降りはじめたような曇り空だ

<問題>とは多分、<それ>が解決されようとする限りにおいて構造的に存在する、ある種の<群(集合)>や<系>のようなもののことなのだろう

ひとしく降る雨に打たれていれば雨は、降ってはいない

真に<主体的に>問題を解決したいのならば問題に関わらないこととなる、これは逃避的、あるいは消極的解決策としてではなく現実的、積極的解決策として、そういう<構造>になっている、ということだ

<私>は、問題においては存在しない、主体化する能力を有するのは問題そのものだけだ

ここ数日でわかったことといえば「問題は、解決しようとする限りにおいて永遠に問題で<在り>続ける」ということだ

雨垂れの音だけが聴こえている、雨音は、聴こえない

何かすごい噂話知らない?
— .Askに答えなくても、まったく問題ないらしい.

あなたにとってお金はどれくらい重要なものですか?
— .「どれくらい」と問われるのであれば、「お金くらい」じゃないでしょうか?.

ひとしく降り注ぐ雨の音は<聴こえない>

雨音にめざめ、雨音にねむる朝が欲しい

一瞬一瞬があるだけなのに、なぜに眠い、この朝も

縁起の法に従うと、切りはなすしか解決方法はない

いつでも誤りは美しい、まるで過ちが艶やかなようだ

「経験として雨の振らない…」というフレーズを「経験という雨の降らない」とよみちがえたまま、良いフレーズだなと想っていた

あまりに静かなので今日は日曜、そういう曜日の決めかたで生きてしまう日々だ

曇天を見おろす太陽のように地球は闇を見あげている

ひとびとを幸せにするものには貪り、ひとびとを不幸にするものには瞋り、ひとびとから受ける仕打ちには痴で対抗するしかないのではないだろうか、もはや、この現代では
三毒
https://t.co/wgJvan37sB

戦時中よりも今現在、南や東南アジアで日本人がしてることの方が、はるかに酷い気がする

TVを見かけるたびに「ノーベル賞っていつなのかね?」とか、あらぬことを想う

相対的にしか存在しないのなら相対化を極限にまで早く回転させるのさ、という笑い話が木をグルグル回ってバターになってしまうトラの話のオチかと想って題名が想いだせない

雨がふるよりも早く流れる川を想像してみる、そして眠ってゆくのだ、ゆっくりと空のほうに向かって眠ってゆくのだ、大地のように、雨あがりのように

わたしの曇天には、いつも太陽が輝いている

「月が語るように星々は沈黙するの」
見えない月を指さしながら、きみがいう
ぼくは黙って足元の水たまりを見つめていた
さざ波が水たまりを覆うのを待っていた

「星々の沈黙」という題名を想いだしたが、検索しても見つからなかった

文学は「<終焉>という幸福は遠ざけられながら生き残るしか術がない」ということを示しているのだろう

むしろ音は絵画だし、むしろ絵画は音楽だよな

詩と同様、センスないんだけど絵が描きたいなどと唐突に想いだす

たったひとつの、イヤ、ほんのかすかな優しさの、その可能性は無限だよ

「<優しさ>を量る」だなんて、なんてハシタナイ真似をするんだ

せめて、あなたの優しさの分くらいは、あなたに優しさが訪れますように

この人生の方が、よっぽど夢幻なのかもしれないんだぜ?

♪なんとなく幸せになるんだ♪
THE BLUE HEARTS 夕暮れ
https://t.co/75d4mvajZH
https://t.co/dCTEmzvSve

周利槃特尊者
https://t.co/udMC78CPMu

…尊き師が来られて、わたしの頭を撫でて、わたしの手を執って、僧園のなかに連れていかれた。
 慈しみの念をもって師はわたしに足拭きの布を与えられた。
 -「この浄らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい」といって。…
「仏弟子の告白(P124)」

お釈迦さまの説法は「対機説法」が中心だし、そのことの重要性、重大性は、もっと知られて良いと想う
https://t.co/XRhWdHgMYP

一般的に日本で(かな?)原始仏教といっても南伝仏教という意味なんだけど一般的に通じるものなのかは非常に怪しい、そして南伝仏教といえども、お釈迦様の教えそのまんまが正確無比に伝わってるわけではないし、そんなことはあり得ないといっていい

二行は一行にならないが、一行は必ず二行になる、そんなことを想いうかべた

一行で書き尽くしたかったが二行になった

ニュースをみるたびに、ようやく「伊勢志摩でサミットあるんだぁ」となんども確認するなかに住まっている

紀元前131世紀
https://t.co/J6LJRLOGYw

日本の縄文時代を年表でみると本当に呆然とするというかなんというか、<悠久>ということばしか想い浮かばない
https://t.co/ytc3ZQ6vdK
https://t.co/J6LJRLOGYw
https://t.co/8xrhx1sjwE

歴史上最も酷い人物は誰だと思いますか?
— .<歴史>を造った人物.

そして本日の書き尽きしタイムである
05-25 10:42

「慈悲の主(あるじ)」と「主の慈悲」と

<奴隷の哲学>がなにものも解決できず、なにものも解放できないのは、論理的に奴隷は、主人を助けることが決してできないからだ

そのときそのときで、生きるままに老いるままに病むままに死ぬままに、頑張るしかない

業の話で想うのだが<固有の業>、たとえば<特定の人格ある業>などというものが存在しえるだろうか、という問いだ、ちなみにお釈迦様は霊の有無については「返答しなかった」と伝え聞く

「諸行無常」というと「むなしい」という類の印象がおおく語られるが、諸行無常でなかったら確かに悪くはならないかもしれないが良くもならない、もっと言えば「なにも動かない」

まだ急なバタバタには対応できなくて、雨がふってきても「雨がふってきたー」と呟くくらいである

日本というのは、他国が同時代に平面的に展開、つまり空間的に展開したことを時間的に展開してるような印象を受けることが意外と多いな

お釈迦様は「(意見の)異なることがらではなく共通することがらを」という旨の言葉を残されているのに、なんとも残念なことだ、とりあえず私は大乗仏教に接するときには原始仏教を、原始仏教に接するときには大乗仏教を念頭に置くことにしている
https://t.co/vyXBPFYmpI

すこし涼しくて助かる

「学者で在り続ける」こと自体が難行だよなぁ

あまり適当なことばかり書いても申し訳ないので一応、原始仏教の方々の意見も確認すると、おおきく逸れてることは書いてないみたいだ、様々な先人、特に中村元の偉大さを改めて想い知る

わたしは見ないTVはつながったが、わたしがみる必要のある有線LANが繋がらぬ、そして何よりも暑いような気がする

暑いんだが脱ぐとひんやりという毎度のパタンで疲れに向かうのを避けたい午後

なぜ多くのものたちが<奴隷の哲学>に従属したがるのか、<奴隷の哲学>には実に巧妙な飴と鞭が用意されているからだ

仏教は知的ゲームではなく理性に基づくものだ

戦うだとか戦争する<ひと>なんて存在しない

ネコよりも遠い一日をイヌのような川が流れてゆく

たしか今日はTVを入れ替える騒動があるはずで、わたしは別に見ないからどうでもいいのだけれど、とりあえず避難方法を考えておこう

無線LANは繋がるのに有線LANが繋がらない現象に困惑中、まあ、そんなに使わないから別にいいのだけれど

増谷文雄訳の阿含経が届いたので少し読んでみたが、中村元訳と比較すると訳文が柔らかくて調子も良いので驚いた。それでも、やはり<苦>などの重要語には適切な訳語が見あたらないようで、その点が非常に惜しまれるところだ。

心技一体というのが掛け声だけにならないように自戒せねばだな

伝教大師最澄が現実的な救いが必要と密教を求めたのとすれ違うように、晩年の弘法大師空海が比叡山僧侶たちに法華経を修学するように諭し、自らも最後の講義、著作を法華経で終えたことを想いだす

武術やスポーツなどなどでも似たことを経験するけれど、仏教においても精神論が先走りすぎて地味で持続的な修法や行法、現代的にいえばテクニカルなアプローチやプロセスもまた重要だというような観点が薄いのかもしれない

眠気のなかにさえ眠りを探さなくてはならない

ふと日本では、仏教が幸福(苦滅)へのシステムもしくはプログラム的な実践思想でもあるということが理解されないままなのではないかと想った夕暮れだったが、かといって変な宗教になるのも困りもんだったりで複雑な気分

他人は夢のなかでも他人だった、今日は子どもの運動会だそうだ

朝焼けというのは、時に夕暮の痕跡としての夕暮みたいなものだろう

ふと想いだして聴いてる
砂山(中山晋平 作曲)/渥美清
https://t.co/06rK1PThUT

金曜日であることを理解するのに二、三時間を要した、そして金曜日なのですね

ひとの脳内音声が自動再生される装置が発明されたものの、TOKIOの朝であっけなくパンクしたのは間違いない

きえさるものを追う必要は、ない、今は今、ただ目前にある

イヤな夢を見た記憶があったが、一瞬で消え去った

旧来の理解とは異なるかもしれないが、むしろ仏教は<自己>というものに対して貪欲なほどに積極的な教え、思想だと想う

舎利弗尊者の最期もまた、目連尊者の最期とともに忘れがたく、舎利弗尊者が智慧第一として、ただ聡明だったわけではない情の深さをしみじみと想い偲ばされる、ふたりを送るお釈迦様の心痛も、仏教の性質を物語るに十二分のものだ
https://t.co/Y5FPD35hsf

目連尊者の最期の逸話は御母堂の盂蘭盆会の話と合わせても業のむごさや、まして仏教の消極性を伝えようとするものではなく、高齢に至った目連尊者が自らの責を、むしろ積極果敢、前向きに潔く受け終えるというお手本を示されたものかと想う

「業力持故,我於神字尚不能憶,況發通耶?」
大正新脩大藏經 第24冊 No.1451
根本說一切有部毘奈耶雜事 (40卷)【唐 義淨譯】第 18 卷
https://t.co/uPOWe73Fx3

お釈迦さまよりも年かさがいっていたという舎利弗・目連両尊者亡きあとの説法(会?)でお釈迦さまは、ふたり亡き後となってはこの会もむなしいと嘆息されたと聞く

目連尊者の徹底して透徹した最期は、なんとも言えぬ…
-我が宿業極めて重く
 我れ神の字に於いて尚憶ふと能わず
 況や通を発せんをや-
https://t.co/q0iMG8vxgz

ブラック・ホールの中心には反物質があるに違いない、とか、宇宙の最涯には反物質があるに違いない、とか妄想すると時空って実は存在してないに違いない、とかさらに妄想が拡がり、そうすると、とか妄想するのは楽しい

PCを閉じた瞬間にFAXがきて、またPCを開くの、仕事なので有難いけど、すこしだけ順番をですね…と

これで一日、休むくらいには書いたはずだ、と自分に言いきかせて眠る

わたしには後悔という(観?)念は正直、あまりないのだが、後悔できる今があることには感謝しても良いように想う

霊鷲山って、いまでも日本の寺院が(輪番?)管理してるのかな?
https://t.co/oYOtrlHc0N

私の知る限りの、より現実的なゴミ処理は「平成貝塚」だ
https://t.co/C1gUAnoZUy

ゴミの分別について訊かれると、現時点ではほぼ意味ないのを説明するのに非常に疲れる、妹のとこでは家庭で分別してたゴミを同じとこに放ってたので大騒動になったらしい、アホらしい

会いたいと心から想っている逝いたひとびとがいるしでガンバル・マン

ほとんど使用しないベランダは、もうクロの寝所と定められたかのようである

「自我偈」は、やはり美しい、その偈は唐突のようで、実際にはお釈迦様最晩年の言動から察せられる遺言のような偈でもあり、法華経のみならず仏教の情理が尽くされているようにさえ感じる
https://t.co/9Y2AP81wuK

あとは安らかな眠りをください、もう一日分の体力は尽きてます、の十五時半

こんな風な生活ながら食うには困らない程度の収入を確保できているというのは実に私が頑張ったからなどではなく、まっこと、運が良かっただけとしか想えんな、ほんとうに御神仏はあらっしゃると想うやね、ギリギリで

あちらもこちらもが成りたたないから常に流動的なあれこれが必要なのだろう

あちらを立てればこちらが立たずとはいうが、自然は、そんな風にして調和らしきものを成立させているわけですね

ベランダからクロを追いだす活動をしていた両親に「クロが近寄らなくなるとハトが来るよ」と、ハトには一気には入れないので戸袋ちかくの柿の木にとまるのだが、そこをクロが狙っておるのだ

「痛い」と訴えれば「我慢」といわれ、痛みを我慢してれば「言わなければわからない」といわれしてボクはもう、泣きそうですよ、はい

痛みのパタンが読めないのもキツイなぁ、ひさしぶりに痛み止めを試してみるべし

めずらしく陽の光をみた気がするのだが、実際にはそんなに久しぶりではないはずで、その間の記憶が飛んでるだけのような気がする

苔玉とかHAIR RABOとか、最近、その辺からジワリと攻められている気がする

「HAIR RABO」というのを子どもたちが買ってきてくれたのだけれど、かなり予想図と異なってきてしまっている、どうしたものか予想図例
https://t.co/owwlUFpEtA

政治家に意見するなどは別として、政教分離は、むしろ<宗教の矜持>としても必要ではないだろうか

宗教や信仰さえあれば救われるというのは安易に過ぎるし、そこには政治も必要だとは想うけれど、信者から立候補者を、というのは、やはり納得できないなぁ

法華経の引用をしようとすると頻出する久保角太郎さんって霊友会の創設者だったのか、なんか突然に想いだした
https://t.co/c5ZKNAow5n

許す以上に許されているんだなぁとか、すこし肌寒い朝だ

わたしは非常に極端なので、なんでも自分の想う半分くらいのところで打ち止めするくらいでちょうどいい気がしている

もう九時なので眠らなくては、の心づもり

ようやく晴れてベランダからクロがきえた、また夜になったらもどってきそうだけど

「寒そうなんだけど」
「毛布とかあげちゃダメだかんね」
「でも寒いよね」
「盛岡でもノラ猫は表で生きてるの」
「でも、ここ盛岡じゃないよ」

半径マイナス50センチほどの、なんだろうね

その美しさのなかにとけてしまいたい、そんな偈を読んでいると、なんでも信じられるような気がしてくる

自分の命をかけられるくらい、かけがえのないものはある?
— .現在進行形で命を消耗しておりまするな、多分ですが.

妻は犬に似ているか猫に似ているか、と問われてあえて答えるならば、「人間に似ている」

「セックスのときに目を開いたままでしょう」
「よく分かったわねぇ、開いたままよ、うふふ」
「それくらいなら分かるよ」

猫のような女性というのがいて、彼女たちに共通するのは父性の欠如だったな、そんなことを想いうかべていた

雨があがった頃、目ざめてベランダのクロをみると毛づくろいをしていて、ちらと視線をおくるだけで、柿の木をつたって去っていった

荒涼、大貫妙子Ver.が聴きたくなったのだけれど、やはり見あたらない、荒涼たる大地のような空、空のような大地

猫好きの革命家なら、信じてもいいかもね

大臣さまに愛猫家はいるのだろうか

猫好きの独裁者、猫を抱く聖職者、猫好きの…

我が家には猫を飼うという習慣がない

家猫というのはひとが招いたというよりも猫がひとの懐を求めてきたのが由来かもしれないと想った

我が家に訪問してくる野良のクロは美女なのだけれど昨晩深夜、やたら煩くて多分、ドラ(ライバル?)と攻防戦を繰り広げていて、今朝は部屋中にまではいっていたらしく、女房に見つかって「ちっ」とばかりに出ていったとのことで防御しきったらしきベランダで寝てる

一番ヤモリ発見を、今年は子どもに譲った

消費社会とは<消費されし者どもの社会>ということができそうだ

どんなに高価な装飾品なんかよりも、あなたの笑顔の方が素晴らしい

百円ショップに百円だけ持ってゆく、というのはもう、あまりないけれど、百円を手にウキウキしながら百円ショップに行く、というのは幸せなことだと想う

なにかを見ようとしてなにかを忘れたままでいられるのは不思議に幸せなことだ

-奇なる哉、奇なる哉
 一切衆生悉く如来の智慧徳相を具有す
 但、妄想執着を以ての故に証得せず-
出典不明も好きな偈、如来寿量品も不思議なようで初期仏教に非常に忠実だと感じる
https://t.co/gXecRqDdl5
https://t.co/zoz2g7uDvM


美しさの同一性とか美しさの共有だとかには、なにかしら、残酷な事態しか想起させないものがある

"神武"というのは、あると想う

ふと♪美しき残酷な世界♪を想いだしていた、そういえば、お釈迦さまはクシャトリア、武門の出だった
https://t.co/jCcmpxA3so

知的であるひとに知性が宿っているとは限らないわけで、知性が宿っているひとが知的であるとも限らないわけだが

知的とユーモア、デートで大切なのはどっち?
— .デートに知性を求めるですか、ユーモアは知性ですか、知性はユーモアですか、とかなんとかかんとか言いながら誤魔化します.

父方は南無阿弥陀仏で祖父母ともに信心深かったが、ナンマイダ一本を信じ切れるひとびとはとんでもなく凄いと心底、想う

母方は祖父が中山法華寺系統の寺男、祖母が古い身延修験者の面倒を見させて頂くなどしていたりで、何故か法華経には縁深い

今朝がた、すこし早目に目がさめて女房の寝顔を見ていて、これだけなにも出来ないとなのか、つくづくに女房殿は観音様のようだとしみじみ想った

三千大千世界の中の一切内外のあらゆるもろもろの声いまだ天耳を得ずといえども父母所生の清浄の常の耳をもって皆ことごとく聞き知らんかくのごとく種種の音声を分別すともしかも耳根を壊らじ
妙法蓮華経法師功徳品第十九
https://t.co/TaSwmf17Zr

自分を認めるまでいかずとも許すことができたなら、もっと色んなひとびとの心を見つめられるような気がする、気がするだけかもしれないし心なんて見えないけれど

ほんとうに手におえないなと想うのは、意外と自分への怒りだったりする

ペットボトルの湾曲面に部屋のほとんどが映ってるの、なんか可愛いんだけど、いかにも子どもが喜びそうな景観である

という次第で、最後の夢がインハイ行けませんでした夢なのは御免こうむりたいものである、とシミジミ想った

目ざめて階下に行くと相撲観戦中だったのだけど、要するに外部からみると、そういう程度の問題でしかないわけです

目ざめて一番、…インハイ行けなかったんだよな、おれ…」的気分に見まわれるという夢中でゼーハーゼーハー、試合してた

真正直にプロであろうとすると儲からないどころか損ばかりというのは、どこの業界も似たりよったりなのかも知れない

東洋医学も西洋医学も一長一短で、東洋医学の<(総合的)体系>に西洋医学の<(個別的)技術>を組みこむのが一番、スムースな組合せになるような気がする

私はひとりに独占されたくないのではなくて、独占したくない、というより、定住生活に慣れきれないような気がした朝だった

<自然の一部>にかれらを閉じこめてしまったのは私たちなのだろうなと想うとすこし哀しい気分になる

早朝、戸袋から軽くはばたく音がしたあと、ちかくの木で「くっくー」と始まった、なにが住みこんでるのかとおもったらお前がいたのだね

きょうは晴れるのか、洗濯物たちが揺れてる

人生が魔法陣のようだ

爪を切らなくちゃだ、見れば指ごとに伸び方が違う爪を

<人格の強要者>というのが<他人>の定義のひとつになるかもしれないな、などと想いながら風音を聴いている

他人様は他人様の都合の良いようにしか<わたし>の人格を構成することがないという当たり前のことを想いうかべながら私は、まだ今日の天気を知らない

他人を通してしか自分は見えないし、自分を通してしか他人は見えない、の繰り返しだけがある、ただ<どの他人>を選ぶかくらいならできるかもしれない

あの「坂本竜馬だとか維新だとか言いだすひとびとが決まって怪しい説」を、だれか支持してくれないものだろうか

未来のことをどうこうよりも現在を見ることだ、現在は現在に学ぶしかない

過去の蓄積が現在であるように、現在の重層化が過去を重層化する

「あのとき、こうしていれば…」の「あのとき」に戻っても結局は、おなじ選択をしている、という意味でも、現在は過去にはなりえないのだな

<現在>とは<未来>に向かう<過去>の折返し地点なのだな、などと想った

このところ今日やりたいことの二割もできていないし、明日やりたいことの一割もできていない気がする、気がする、だけにしておく

久しぶりの金縛り、一回目は自力で解いたが二回目は女房の助力が必要だった、三回目は適当に流した、疲労感が迷走している

しずかな週明けのあとの、しずかな平日、なんだか落ちつかないような、そうでもないような

空間ということばに空間を閉じこめたいような雨だ

何曜日なのかわからない空模様だと想った

春だというのに夜が重い

ゼンマイ時計の音はやさしいが、とくにゼンマイがきれる寸前の音がやさしく切なくて哀しい

懐中時計が好きなのに、懐に懐中時計をいれていたことがないことに気づいた

晴れてる…のか、を、考えてるうちにも日が暮れそうだ

「あはは」「うふふ」とか笑いながら雨音に包まれた綿菓子のように眠りたいものだ

暑くて眠れなくて厳しい、立夏過ぎたもんな、一雨くれ

書きたいことも話したいこともあふれるほどだ、中身はなにもないが

毎度ながらツイートを削除するとツイートが溢れてくるの、悪い癖だ、また削除するのが面倒なだけだ

体が女を拒絶するようになったら男を超越したんだから喜べ、男女の存在しない存在になったのだよ、あなたは

スパムで「ギンギンに」とか「固さが」とか、どうとかこうとか、もうね、そんなことで悩むくらいならスクワットでもしてろとだな

本を読めなくなってなにをうしなったか、なにもうしなわない、と言いたいところだが暇つぶしの対象をうしなった

私は差別主義者なので差別を厭います

今は華やかな扱いを受けている歌舞伎役者だって、その由来は怪しきひとびとなわけであるよ、時代は変わる、社会も変わる、<人間>だけは変わらない

差別、被差別の関係でいうと、被差別者の一部が差別的言動を助長するような活動も当然、容認しがたい

出自や生育過程で階級的差別に触れる機会がほとんどなかった小学生のころの社会見学で、墓石に刻まれた「畜生云々(云々畜生だったか?)」という戒名を見て、あまりにもショックを受けて以来、寺社仏教には全く興味を持てなくなったのを想いだした

相手の意に沿わない応えを叩きつけるしか能がないのは優しさが足りないのではなく智慧が足りないのだと想う、そういうことで私には智慧がない

そむけた視線のさきに立ちつくすのが私の後ろ姿だ

あなたの名前には何か意味はある?それは何?
— .まず「意味」ということばの「意味」を明らかにしましょう、私の理解する意味とは「結果」のことです、つまり、こうして答えているという意味が、わたしの名前の意味、ということになります

ということをボンヤリと想いうかべながら「計算って合わないもんなんだよ」ということで聴いてる
https://t.co/D0xtvVtMv7
https://t.co/WlaF9j29gY

どんな幻想もスピードで上まわってしまえ、それが無常迅速だ

アウラの現代的な変形がストーカーで、彼らは自らの<対象の虚構>のなかに住まっている、そこから得られる対策は「私は、あなたの想うような人ではない」ということではなく、「私は、あなたの想う通り、そして想う通り以上にあなたの想うような存在です」ということを迅速に示すことだ

結論はこうだ、<私>は常に<私>しか愛していないし、<私>しか愛することができない、しかも<私>の中身は空っぽである

もっとも優れた鑑賞者でも「本物」を百パーセント見抜くことは、まず不可能だ、そういう意味では「偽物」という概念も放棄されなくてはならないだろう

手塚治虫にあっては「鉄腕アトム」ですら手塚治虫が作者であることが大きい、つまり消費者は作者を愛したといえるかもしれないが、「サザエさん」や「クレヨンしんちゃん」では消費者は作者より作品を、むしろ作品よりも消費者を愛している

ベンヤミンだったかのことばを借りればアウラとは作者や作品にすらなく、ただ鑑賞者だけが所有している、ということになるだろう

サザエさんやクレヨンしんちゃんなどで感じるのは作者は不在、むしろ視聴者は常に作者の死を見せられているのだ、ということだ

ここしばらく、雨しかさがしていないような気がする

隠れた声をさがしていると雨に打たれていた

驚け、わたしの経験上は背が低くたって女に不自由はしないぞ、笑い

「バック…?」で想いだして曲は好きなんだけど、あんま経験ない歌詞なので共感には遠い
https://t.co/kPcx81fYdg

本を読んだり散歩する体力くらいまでには回復したい、という生命力だけが生きてる状態

卓上カレンダーがDLのものなんだけど、キャラクタ名がサッパリわかりません

変化には仕方ないと想えても、変更には抵抗あったりするものだな

Win10の導入に関する怖ろしいツイートばかりが目について萎えている

さいきん、眠っているか食べているか、煙草を喫っているかしかしてなくて、最後の喫煙だけは咎められるので納得いっていない、そして「さいきん」を削除する必要も感じている

さらに追加しておくと、ツイッター歴がもっとも長いわたしが最もツイッターに適応していない

そもそもの招待者のmさんは、なんで私より新しいアカウント歴なんだ?という問いが続く

ツイッターにおいてmiyataさんは、(現アカウントの)二年、後輩なのである

誰もあなたのことを決めつけないとしたら、どんなことをしますか。
— .特に変わることなし、変わる必要もなし.

あの屋根のしたで、きみが笑っていることを信じられないよ

好きじゃないんだけど、やっぱり日本でロッカーというと矢沢永吉しか想い浮かばないな
https://t.co/E8uKdQxVPe

其の堪うる所に随って、為に法を説くこと種々無量にして、皆歓喜し快く善利を得せしむ。
https://t.co/phZg3Qf1PQ
https://t.co/SQFxyZ3qsC

社会が放棄した子どもたちが社会に貢献しなくてはならない、それを教えるのが<親の責任>とされるのなら、そんな責任は放棄する、それが現代の若者たちが提起した結論だろう

たとえば育児の責任を「産みの親」に限定すると、最終的な責任者はシングル・マザーしかいなくなる、このことはフーコーも似たようなことを言っているが、それは「社会的責任を一個人に押し付ける論理」というだけのことかもしれないわけだ

「自己責任」ということばは社会的責任の放棄と同義に用いられることが、あまりにも多い

責任が貨幣化されることから得られる論理的結論はこうだ、
「金持ちが最も責任を果たしており、貧乏人が最も責任を果たしていない」

けっして果しえない責任を、わたしたちは見ないようにするか、無視しているだけだ

果したと評価される責任とは結局、金銭的なものでしかないというのが凡その世間相場であって、つまり罪も責任も貨幣化された相場世界観のなかの出来事であるというだけのこと

恋というものは、すべからく後悔するものだと想っている、そんなことを想いだしていた
https://t.co/S0QbzQSifF

良いカバーもなかったので自分で歌おうかと画策中、アカペラで良いか、月夜で良いか
https://t.co/CHjA48q5C9
https://t.co/Uurp1ZpnDd

ここ最近は、すっかり斃れるためにしか立ちあがっていない

カーテンを閉じたままだったので一日中、夕暮れのような部屋だった、そのおかげですこしの外出ができたのだと想う

マルクスを遡るとスピノザに行きつくように、とくに近現代のキリスト教は結局、スピノザに行きつくのだろう、などと意味もなく想った夕刻だった

いつも恋人は、過去という現在にしか存在しない

いま、若い頃の恋人にあっても恋することはないと想う

なぜ時間は逆行しないのかを問いながら聴いている
https://t.co/sPP5nleqIk

「風は存在するのか」という問いがあり、その問いにおいては既に風の存在が前提されているのだが、実際に風が吹いているかは風に吹かれたものを通じてしかわからない

往々にして西洋思想は、原理と現実の区別を隠すことから始まるといえる

原理的には<個>と<全体>というのは対立概念ではなく同一概念だが、現実的には対立概念として捉えられねばならない

ひとつのツイートが解消されるまでの永遠の時間が生まれつづけている

疲労を羽織ってよろめいている、つまり今まで疲労していることに気づけなかった

晴れているのに気づくのにも時間がかかる、食事をしよう

チャイムにしずむ空、恋人のこない夕暮れにそまる前に雨に消える街路樹に閉じこめる

今日の天気を今、知った、曇りなのか雨なのかはしらない、眠りのなかには季節も天気も<登場>しない

腐食性炎症、あるいはひとつの終焉
|}{|note(ノート)

恋人の眠りは、わたしの愛よりは深いものだ

冷たい五月で雨を待っているのか

<歴史>のアイデンティティは<個人>、つまり<わたし>の不在で完成する

休日に人ごみにツッコんでゆく勇気は私には、まったくないので勇者どもを称賛している

書きたいことが山ほどあるように感じるのに、まったくペンが動かないのは万年筆だからだろうか

2016-05-31 00:00 : メモ帳 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
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【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

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