浮遊

昨今の脳科学の分野では「クオリア」というヤツが注目を浴びているそうだ。
モノの本によれば、それは
心の質感
とでも言うべきもので数値化出来ない、とか。

てめぇの実感くらいはてめぇで考えろ、感じろい!

と乱暴の一つも言いたくはなるが、それでは身も蓋もない。

では、このクロリア・・・やや、クロアリ、クロードチアリ、千秋直美、もといクオリア。
私流に定義させて頂ければ、それは「浮遊感そのもの」ではないかと想われるのである。
それが二極構成された平面、あるいは3次元はたまた異次元空間に位置づけられうる物か、それは知らぬ。

が、この生きているという感覚というヤツ。
私としては死んだ自分と生きてる自分の狭間で浮かんでいるとした方がしっくりとくる。
死を身近に感じたことのある人なら、今は生きてるわけだから容易に御理解頂ける感覚ではなかろうか?
死など感じたこともない子供時代に「生きている実感」があった記憶は不幸にして私の記憶の範疇にはない。

そう言ってしまうと「生きてる」という現象、これは相対世界にフワリ浮かんでいる浮遊感そのもので、数値化出来なかろうと、ある意味なんとも無機質でつまらぬ。
よく死人が浮遊しておるが、あれは現世とあの世の間を浮遊しておるのであって、これはまた趣が異なる。
ちなみに、そのような浮遊物体を確認したことはまだない。

しかるに人間が生きていることを浮遊すると定義するならば、本当に生き生きとして生きているには浮遊せねばならぬ。
明日をも知れぬ、いや、一寸先は闇の身にこそ生、宿るべし。

もっとも一寸先に闇が待っていることを知らぬが仏は御本人様だけだったりするものだ。
真っ暗クラの暗中では浮遊出来ない。浮遊感を掴めないのである。

それは、確かに感じたことがある。



(初出:2006年01月19日)

2006-09-18 12:29 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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