「引力」としての詩:謝辞

Mさんの「詩入門」の題材に取り上げて頂いた私は、本当に何も分からない。
元々、「詩」というのは天然由来で書ける(書く)人が書くもので、勉強するものではないと想っていた私は、Mさんの詩(詩のアーカイブ)も拝読したり勉強量・思索・試み諸々に甚く反省し、ので「少しは勉強すべ」と想い「現代詩大系(思潮社)」なども購入して積んである(し、少しは読んだ)。

結果、余計、分からなくなったので考えないことにした。
ただ言えるのは「これ、詩ですね。」と言われて「そうですよ。」と言えてしまったときに、恐らく(私は)永遠に詩を書けない人になれるだろう、ということだ(笑)。
>そもそもまっくさんの作品が「詩」なのかどうか、ここではそれは問わない。それは別の問題である。
というMさんの言葉は「(中庸の)救いの言葉」である。
衒いでなく肯定されれば否定を生み、否定は肯定である(可能性を、少なくとも残す)。
ついでに金儲けを企み、一時ブログ中断を宣言する直前に記事を書かれてしまった私は、少し悲しく、非常に辛い。Mさんとは、いつもダンスをしている気がする。素人の冒険的ステップは常に想定範囲内にあるが、それを越えるとダンスは崩壊する(爆)。
(しかし食わなくては生きていけないので、金儲けは断念してはいない)

さて、そうこう(どうこうだ?)考えているうちに、「詩」というのは「引力」と言い得るのではなかろうか?と想った。これは小説、物語を「重力」に喩えた故・中上健次氏を真似ただけでもあるが、「詩(作、人)」に対する私の印象に一番、近い気がする。
重力は引っ張るだけだが、引力には、重力に遠心力が加わる。つまり「飛んでっちまう力」だ。引っ張るだけではなく、飛んでっちまう可能性との合力が「詩」だと喩えると分かったような気になる。
小説家が重力に押し潰される可能性の只中にいるとすれば、詩人は引力(の中の遠心力)でスッ飛んじまう可能性の只中にいるのだ。

そもそも、詩人が自分の作品を公にする「詩(詩のアーカイブ)」という試み(?)自体が「行為としての詩」であろう(「元」であることは、そもそもに意味をなさない)。ということで、この「ブログ」にはコメントを書けないのだ(笑)。
ここまで「公」、みんなのものであることは、逆に誰のものでもなく、Mさん一人の詩であるということでもある。Mさんは、飛んでっちまう可能性を引き受け彗星の如く戻り来る(ことを画策している)に違いない。
つまりアンゴルモアの大王である(リンクしてません)。
邪推するに、こういうMさんの資質(?)が詩壇・文壇と称されるものと相容れないのは当然であろう。詩壇・文壇は、その「名誉」にかけても受け入れてはいけない(はずだ)。その際の理屈など、どうでも良いのである。

「詩人・・・と、人のつくのは食えん」と、かつてMさんはコメントしていた。
けだし詩人の名を辛うじて残して食えるとすれば『作「詞」家』に転業(?)するしかあるまい。残るは作家・・・?
詩と同じく、詩人も引力の中にいるのである。
ので、想うに食い繋ぐことは詩人にとっては重要事である。その身ごと飛んでっちまったら、宇宙に飛び立ったライカ犬のように大気圏突入で燃えちまうか、永遠に戻れないのである。

冗談はさておき、かかる「引力内」にも生態系は存在するのであって、いち早く環境に馴致するだけでも生態系には組み込まれるが、馴致され難いのが詩人という存在のようである。

2006-09-22 15:16 : 消去一葉 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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んー…。
なんだか話が難しくなってきましたね。
好きに書けばよろしいのじゃないでしょうか。
そう急がず、責めずに。
書く動機って、みんな違うと思うから、正しい道って、絶対に1つじゃないと思うから、まっくさんは、まっくさんの道を、ゆっくりと進んで行けば、いいと思います。Mさんの、考え方もあり、べつの誰かの、考え方もあり…、どれを採用するかは、まっくさんに選択権があります。批判してくれるのは、ありがたいですね。だけど丸々信じてしまったら(まともに受けてしまったら)まっくさんじゃなくて、べつの誰かになってしまいます。聞くだけ聞いて、どれを捨てるか、拾うか、それを選ぶのも、楽しいです。

マジコメントしてます。
まっくさんのこと責めていないからね。かといって、慰めてもいないの。書く人は、揺れる。みんな揺れていると思う。だから気持ちが、分かるんだよなぁ。私にも少しは、分かります。
2006-09-22 17:57 : itu:kairou URL : 編集
ええ?まっくさんは全然、信じてはいないと思いますよ。でも楽しんでいると思います。柔軟で知的、いろいろな刺激を、とにかく楽しんでいますよ。
あの二つの詩の並びにショックを受けたのはぼくなんです。オリジナルとどこが変わっているのか、プログラムで調べました。あんなこと不可能だからです。なぜそんなことができるのか、考えなければなりません。そうしないとずっと捕捉されてしまうのです。それが言葉を背負っているものの宿命です。ぼくにもいつもこのブログは刺激的です。

あと、わからないのが、まっくさんのカテゴリー(落書分類)です。
2006-09-22 19:16 : M URL : 編集
お、おお!?
回廊さん、こんばんは(^^)
うぅ~ん・・・難しく考えてはいないんですが、書き方が下手かもです(涙)。
ご心配、有難う御座います。私は、大体が人の話をしてもらいたいのに聞かない(?)のですが、常に色々な影響を受けて変化してはいると想うし、していきたいと想ってます。回廊さんの影響なんて、モロ強いですし。
でも、それで(誰しも)私でなくなるなんてあり得ない、と想ってます。いくら真似して研究しても、徹底すればするほど物真似が本物以上の存在になってしまうように。ただ、そこに「<私>に対する期待」があるとすれば、それを遂行することは難しいか、とは。
いつも見守ってくれて、有難う御座いますm(_ _)m
2006-09-22 22:41 : まっく⇒回廊さん URL : 編集
プログラム、ですか(汗)?
Mさん、こんばんは(^^)
Mさんが読まれても直ぐに分かるわけではないのですか(驚)?私の一人称は、いつも「揺れて」ましたが、そのまま書くことにしました。Mさんの書かれていた「距離」も大きな要素だと想います。この「何故か」ですよね・・・
カテゴリー分けは・・・なんででしょうね?ブログ初期にカテゴリー・タイトルを適当に考えて近そうなのに放り込んでるだけなものですから(汗)。
蒼天の落し物=恋心、想い出などの人とのこと 天の震え、地の涙 =天地万物に感ずること 一億光年の氷光=ウンと遠いナニカ
みたいなイメージ分けをしてた気がするのですが、だんだん一色になってきてる気がします。
2006-09-22 22:58 : まっく⇒Mさん URL : 編集
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