癒されて、安心して、どこへ?

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つらつらとブログを見させて頂きながら少し驚いた。
未だに癒し、安心・・・そういったジャンルの方が多く、また求められているらしい。

勿論、それが良い悪いということに触れるは、お前(私? 笑)の勝手なので控えておくとして・・・
「気味悪い」と書いておこう(同じか 爆)。

癒され、安心した落ち着いた気持ちで過ごしたい。
これは当たり前といえば当たり前の気持ちではあるのかな。
だから、人は、というか、大人は、と敢えて言いたいのだけど、働くし、時に嫌なことも我慢するということもある。
でも、この時の働く、我慢する、というのは自分の癒しや安心のためじゃないんだ。

大切な伴侶だったり、子供だったり。
そんな色々なものを抱えてれば闘うしかないんだよね、結局。
あまりにその事に繊細だった先人の中には、それが故に流浪の身にやつした、という例にも事欠かない。

でもね、それは、大人として流浪してたんだと想う。
だからこそ、今でも闘う人達が心寄せるんだとも。

自分の癒し、安心を求めることを否定はしない。
私も、そうありたいと想うから。
でも逃げられないことは逃げられないということに気付いて覚悟したほうが楽だ。

癒されて、安心して、どこに行ける?

癒しもなく、安心も出来ないココだから、羽ばたくしかない。
羽ばたくからドコカに行ける。
でも雛の翼には、そんな力はない。
そんなこともあるんじゃないかな?
私は、少なくともそう想う。



我々の翼は、希望よりも絶望に宿るのかも知れない。

アノ頃、希望に燃えていた翼は、今、羽ばたく力を持っていますか?

嵐海の闇夜を渡る力を持っていますか?



(初出:2006年02月28日)

2006-10-01 11:00 : 消去一葉 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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希望より絶望。
逃げられない事に気がついて覚悟する。
そうだなぁ、と思わせられました。

安心したり、癒されたり、ということではないことが
きっと胸の中でざわざわとしているように。
自分の留まる場所の不安定さは
抱えるものの中のなにか違うものが起こすのかもしれません。
希望より絶望に宿る。
私はどうなんだろう?って。

2006-10-03 02:22 : rie。 URL : 編集
「安定」という錯覚(錯視?)
Rie。さん、こんにちは(^^)
多分なんですが、ほとんどの人は安定や幸福、希望というものが錯覚や錯視だと気付いていると想うんです。たとえば良き人に囲まれ、健康で金にも困らず・・・と言った「安定」に恵まれていたとしても。往々にして、そういう人は散財に走ろうとしますよね。「安定」が「幸福」や「希望」に変わる状況でも同じような現象が。
いつでも「一歩先の絶望」を生きる、生き抜くことが大切なのではないかな?と、最近、想ってます。その方が「安定」しているように感じるので(苦笑)。
前向きに倒れる絶望の中の一歩?
2006-10-03 11:24 : まっく URL : 編集
いつか。
いつかどこかで「安心」や「安定」を思えるときがくるのだろうと思いながら、毎日を過ごしていたのかもしれません。
その不安が怖かった。
でもきっとそうでないこともわかっていたのかもしれません。
目の前を先に向けることで、足元にこぼれる絶望。
振り返る後ろにたたずむ絶望。
その瞬間の幸福は絶えず絶望と一緒なのかもしれません。
いい意味も含めての、諦め、ということが無い限り。
2006-10-07 23:56 : rie。 URL : 編集
希望の内在するもの
Rie。さん、こんばんは(^^) コメント、遅くなりました(汗)。
希望は叶えられることで消えゆくものであり、常に絶望を内在するものでもある、とも言えるかと。そして、厄介なことに新しい希望を燃やせなければ、人ごと燃え尽きてしまう・・・
最も輝く希望こそ、実は最も深い絶望の結晶で。
だんだんと、そんな風に考える歳になってまいりました(^^;
2006-10-16 18:01 : まっく⇒rie。さん URL : 編集
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