大きいことは良いことだ

日曜日ではない土曜日にツラツラとヌードを眺めていると、どうも女性の胸には大きさという概念がないらしいと気付いた。いや、改めて気付いたと言うべきか。
街行く、あるいは電車で向かい合う、その他もろもろの状況において、女性の胸は凝視すべからざるものという信念でおり、夏のビキニもサングラス越しに見つめると、胸を見ているというよりもパットなるものに込められた技術に想いを馳せてしまうのは一人、私だけであろうか。
しかしこれ(ら)は、男性誌のグラビア等等を見る限り女性のみの責とするのは甚だ理不尽であって、やはり男女による共同作業の結果と見るのが相当であろうかと想う。
今、ここで一つはっきりとさせておきたいのは、私も巨乳(虚乳ではなく)が好きであるということであるが、その理由に関しては全くに不明であって、微々たる胸の隆起にもまた、美しさを見出さないということが必ずしもないわけではないことである。
ここに一つの大きな矛盾を与えるとすれば、女性が一般に「美」を求めるものらしいにも関わらず、こと、その大いなる象徴たる乳房に対しては「美」よりも別の視点、あるいは価値基準を以って望むことであろう。
先に述べたように、私のみならず、相当数の男性が巨乳よりも微々たる胸の隆起に乳房の美しさを求めることは十分に期待出来ることであるわけだが、何故か敢えて想像を断言するならば男性の貪淫の象徴の一つでもある巨乳こそが、男女のコンセンサスによって望ましい乳房像を形成しているかに想われる。
その結果、これも先述したように巨乳たる見かけを有するための涙ぐましい努力が日々、どこかでだれかがし続けることになる。恐らくはCカップもあるかないかの胸は現代日本において決して巨乳ではないはずであるが、寄せて上げて、さらには若干の前屈を加え、正面からこれを見れば、そこには巨乳の証であったはずの谷間が形成されるというグラビアに見られる常套手法も、一方、男性にばかり責を求めるのは事ここに至って妥当であろうか。今や谷間は巨乳と虚乳の、双方の可能性を内在する証拠現象に変化したのである。
房事において淫猥なるあれやこれ、それやこれが役に立つことについては異論は大きくはないと想われるが、さて、現代日本の女性にとって歌麿は淫猥なる存在となり得ようか。
大きいものは良いことだ
という文化的価値基準を他ならぬ日本も持っていた、この歌麿の巨大男根を見て、仮にそれが実物だとしても、驚きこそすれ、よもや、そのようなもので体を貫かれるとは、というのは乏しい私のアンケート調査の結果であり、実際、かかる歌麿を必要とするほどの奥深さは女体にはないものである。
つまり、歌麿に関してさえ、それは
大きいものは良いことだ
という、ただ一事において本質的な意味があることは明白であり、恐らくは、その結果として妄想をたくましゅうする女人がいようともいずとも、それはここでは意味がない。
さて、ここで私は局所増大用吸入ポンプを使用する時間となったことを記し、一先ず筆を擱くこととする。
2006-10-29 11:24 : 落陽 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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