遠い陽光の中に消し忘れられた落書

無意味への

>観る人、読む人に幸福感を与えるものは、残念ながら作品ではない、あるいは、失敗した作品だと思います。これを証明するのはむずかしいですが、たぶんそうだろうと思っています。

Mさんの「地下鉄にて」と題された記事コメント中の言葉である。
フと私の先生の言葉を思い出した。
「技を掛けられた人、見ている人が何が起きたのか分からなくなったら公開しても良い」
先生が、更に先生(私から見たら大先生)から伝えられた言葉だそうだ。
「すごい、素晴らしいと感じられているうちは、まだまだなんだよ・・・」
と、ポツリと付け加えられながら、淡々と孤独な修行が続けられる。

先生との「間」で起きていることにも意味を求め、考え始めると、かえってズレた方向に進みがちになるという傾向は大きい。
ただ、そこにあること、起きていること・・・
淡々と、紡がれてきた糸をほぐすかのような孤独な作業が稽古の本質となる。

そういうものを求める人は、どうしても少ない。
手掛かりも手応えも、普通の感覚からすれば全くない闇中に浮かんでいるかのような時に身を委ねなければならず耐え切れないからだ。
そうして多くの才ある人達も、諦めて「刺激の世界」に戻っていってしまう。

剣道では四戒として「驚恐疑惑」というものがあるが、端的に「心を動かすな」と言われる。
無関係にしか思えない詩の世界のMさんの言葉が、何故か重なる不思議さは、逆にMさんの求めるものの難しさを訴え掛けてくるかのように重い。

理解されることの難しさと理解を求めない、理解を拒否してしまう難しさとは異質に過ぎる。
理解を拒否するという理解のされ方というのは混同され易い脇道だ。
まるで孤独への愛とでもいうべき生き方を、人は本質的に求めることが出来ないかのようである。

所詮、孤独というのは虚構でしかないかのように、我々のすぐ傍でせせら笑っている。
  1. 2008/06/27(金) 01:03:58|
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