過去化する未来

前記事を確認したら、1年半を過ぎていた。
そこに変わり続けたはずのものがあるのではないか・・・と想ったが、実は全くの反対で、そこに見たのは全くと言って良いほど、変わらないものだった。

今更、言うに及ばぬ程、凄まじい災害だ。
既に変わらなければならなかった私は、その一歩目で足場を失いそうだ(った)。
目下、出来ることは何か?
考え得る、出来得ることはしたという結論を得て、今、ここに辿り着いた。
いや、想い付き、避難してきた、と言っていい。

ここ数週間でシーベルト(Sv)に始まり、ベクレル(Bq)、キュリー(Ci)と、物凄い勢いで勉強し直した気がする。
原発事故について言うなら、やはり少なくとも近辺の方々には避難して欲しいのは山々なのだが、
「ここでの生活を捨てての新しい生活は考えられない」
と、多くの人の言葉を聞き、それ以上、言うべき言葉を見失った。
言葉を失って茫然とし、そして「ココ」を想い出した。
そこにあったのは、少しづつ蠢いていたはずの変化であり、そしてそれは十二分に変わっていないものでもあった。

私にとっては、今、成人を超えた年頃以上の年代の人間が、一定率で死期が早まるかもしれないというようなことは心配の範疇にない。
まして既婚して子供に恵まれている「大人」など、私を含めて大した問題とは想えない。
しかし今、主として取り上げられているSvは、その心配するまでもないことにしか関らない。
もちろん、それは死生観の問題で、そちらの方が大問題だという人達は大急ぎで海外にまで避難していると言うが、それはそれで良かろうとも想う。

しかしBq・・・いや、データの取り方からすればCi/km2こそが、むしろ私にとっては狂おしい問題であった。
もっとも、既にしてデータは冷酷な結果を暗示する以外のことをもたらしてはくれないようだ。
そこに至って今、未来が過去になってしまったかのように、漂い、ここに戻り来た、とでも言おうか。
それは同時に、過去が未来になった瞬間でもあった。
いや、ここに至ってすら尚、そんなことは戯言だ、と笑って言って欲しい。

更なる特異点は、事故の後、10年前後にある。
娘達と同年代の子供達が迎えるかも知れない未来。

過去のデータを以て、現在以降の未来を見通すことが出来ないことは、今回も通じるのであろうか・・・

時間を伴わない空間が、一体、その存在を、どこに依拠出来よう。
血と涙とともに今、時間は流れ続け、支配するはずの空間を侵食し続けている。

2011-04-02 15:51 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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