数字という暴力

「 という意志」とでも、とタイトルを考えた時点で" "でなくなるということに気付いて苦笑いしたが、本当に不便だ。
ここに至ってすら尚、" "とでも書かずに現すことすら出来やしない。
それを「数字の暴力」とでも呼ぼうかと想う。



言葉が数字に変わってるじゃないか?
言葉と数字は同じものだよ。
その暴力性の本質に変わりはない。
だから「言葉という暴力」と言ってもいいさ。
そう、何とでも言っていい。



空白、と言ったその時に空白が消えてしまうように言葉は私達から世界を暴力的に引き剥いで。
この春は、そして当面という永遠に亘って数字の暴力に翻弄される私達。

抗う術はないのか、って?
一体、何に抗おうというんだい?
冗談じゃない、このままどうしろと言うんだ?



武術という言い方をすることがある技術がある。
それをここで定義するとしたなら「数字と闘う技術」と言い得るかもしれない。
後輩に「どうやるんですか?」と、いくら不思議そうな顔で聞かれても、ありきたりの答え以上には答えようもない。
そもそも私だって、よく分かってやってるとは言い難いし、出来損うことが多いわけだしね。
敢えて言えば「そういうものだ」ということを知るだけのことだ。
知った時だけ、そうなるだけの話だ。



数字と闘う方法には色々とある。
あらゆる技芸、特に日本古来の技芸の神髄には当然に含まれている。
私達は、それを捨ててしまったが、それも遠い話だ。
明治維新というのは、そういう"戦争"だった。
そういう暴力との闘い方を、日本人は知っていたのだ。

その復興は不可能だし、不可能ではない。
詭弁でもなく禅問答でもなく、それが事実であると知ることを以てのみ、始点に立ち得るというだけで。
今は急ぎ、そのことを伝えたい気持ちもあるが、それは無理なことなのだ。



全てを知るように、全てを知らない。



私は、そこに立ちたい。
2011-05-11 22:45 : 消去一葉 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

拝啓




Author mak From "空白"

想一葉、兼訪問帳

星々の冷却(書肆侃侃房)
渓谷0年(オンライン版)
Both by mさん

【 無意味という意味 】
すこしの風を追いかけて
【 短文 】
大海にも降る一滴
2015.07.17.

For Admin

落書内検索

月毎落書

一言お報せ

リンクは勝手に頂戴、削除してます
ご迷惑な場合は、ご一報下さい



メール・チェックは非常に稀です


BlogPeople

出現するかもエリア-転記候補