「果て」の先

過日、将棋界で大異例のプロ、瀬川さんが登場した。
将棋指しの中には、批判的な意見も多い。
が、彼が行動を起こしたことを、どうして批判出来るのか?
おいらには、皆目、分からない。

実力云々を言う人もいるようだけれど、プロになった後の厳しさはプロになれば分かること。
「落ちこぼれプロ」など、いくらでもいる。
可能性などないと言ってよい嘆願書を出した彼の行動を認めないで、どんな努力なら認められるのか?

 人は、いつでも、なんでも諦められる。

夢だって目標だって、恋人だって・・・
理由なんかは、いくらでもあるのだ、この世には。
「××だから、諦めた」
もっとも「らしき」理由は尽きない。
そして諦めた理由を、人は言わずにいられない。
愚痴、だ。

おいらは、未だに自分がしたいことに没頭してて、先輩からも、
「家族離散にならないように」
と笑いながら言われてる・・・けど、それは難しい。
先日、女房に「少なくとも豊かな生活は諦めてくれ」と言った。
女房は笑いながら「食べていければいいから」と言ってくれた。

おいらの先生が、ポロッと口にしたことがある。
「私が自分の家族にかまけてばかりいたら、弟子に教えられないだろう?」
教えるということは、実は自分が学ぶこと。
そう、誰よりも先を行こうとしているのが、他ならぬ先生なのだ。
今でさえ、高弟の誰一人さえ足元にも及ばないほどなのに。

「この世の果てに辿り着きたい」
そう想って一心に果てを目指したとしよう。
でも「果て」だと分かるのは、「果て」の先があるからだ(笑)。
この世を宇宙に変えて言えば、光速膨張し続ける果てには辿り着けないことになる。
それでも諦められない人達が「宇宙の果て」に始めて近づける。

初めから見えている「果て」などない。
いや、いつまでたっても見えないから「果て」なのだ。
だから果てを目指す人達は常に孤独だ、とも言える。

そして多くの人が、いつまでも見えない果てを追うことに、いつか疲れてしまう。
でもそれは、初めから「果て」を追い掛けていなかったからだ。
追い掛けてる積りの「果て」は、実は100歩歩けば辿り着けるお店のようなものでしかなかったのだ。

果てにはいつでも先があって、いつまでたっても辿り着けない。
いつまでたっても辿り着けないのに歩いて行かずにいられない人だけが、笑いながら夢中に斃れることが出来る。
「夢中になる」ってのは、その語のまんまなんだと想うのだ。

でもね、今になって想う。
「夢中になれない」人がいても、それはそれで悪いことではない。
そういう生き方もあるんだ、と。
果てを追い求めるだけが人生じゃなくたっていいじゃないか?

だからこそ、夢中になっている人の生き方に嫉妬してはいけない。
そんな嫉妬は自分を、人生を惨めにするだけだ。
色んな人生があっていいんだ。

気付けば、誰もが夢中だということが分かるだけのことだから。
その中に自分がいるということも。



参考)坂のある非風景:なぜ欠如は喪失とすりかえられるのか

2006-08-01 18:35 : 消去一葉 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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ぼくがTrackBackした記事とは別の記事でTrackBackを返すところなんか、洒落ていますね、まっくさんへ。

>人は、いつでも、なんでも諦められる。

みんなはそう思っているのですが、実は、諦めるのは動物の方なのです。動物こそが、捕まえることのできないエサをいつも諦めるのです。すぐに忘れます。
人の特徴は、決して諦めないことです。一度でも本気で望んだものを、人は決して諦めてはいないのです。
2006-08-02 17:55 : M URL : 編集
諦め方
Mさん、こんにちは(^^)
TrackBack以外に想いつかなかったまっくです。

人間も、というか、私なんかは忘れますよ。
少なくとも表面上は。

本気で追い掛けたいことはいくつもあったし、次々に出てもきますが、処理能力がないので、いくつも同時には抱えていられないんです。
もちろん「想い出す」ことはあります。
その時の「想い出され方」が、その後の一つの課題かな、と想います。
一つの体験談)音
http://mak00kam.blog58.fc2.com/blog-entry-43.html

そうやって今、「自分が本気で望んだもの」に少しづつ近付いてきたのかな?と。
本気で望んだものなんて、自分では中々、分からないものなんだな、とも苦笑混じりに感じてます。
今も「本気で望んでいるもの」に近付こうとしているだけなのかもしれません。
2006-08-02 19:13 : まっく URL : 編集
ああ、そうですね。諦めたと思っていた、その後の呪縛の大きさで、執着がわかるときがありますね。

いつも同じ人を好きになっている、とか。気づいたときはそうとうショックですね。
つまり、タイプを妻から指摘されたとき、です。みえみえだったのでしょうか。
2006-08-02 21:20 : M URL : 編集
Mさん、こんばんは(^^)

そ、それはショック大きいですよね(苦笑)。
「本人的には無関係」ななのに、女性の嗅覚が許さない時、ありますね。
私も「何故、そこでツッコム?」というような経験をしたときに遡ると冷汗、脂汗ということが何度か・・・
私の女房の場合、それとなく聞くと、意図してとかではないようです。
故にこそ恐ろしいわけですが(笑)。

「音」は、物語ると鬱陶しいので端的に書きましたが、実際には諦めた自分に対する忸怩たる想いもあり、本当に不思議な気がしました。今年は彼(大萩くん)のリサイタルには行けそうにありませんが、一度、耳にされても絶対に損はないですヨ!
2006-08-02 22:43 : まっく URL : 編集
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