良い詩を書く人を知らない

寒い夜中、眠れずにネット・サーフィンをしていたら灯油が切れた。
また、これで眠り難くなるな、と鬱陶しい想いをしながら、いや、その前から詩について色々と考えた。
改めて書くようなことではない、当たり前のことに気付く。
良い詩を書く人を知らないことと、ただ良い詩だなと想うことだけはあったということと、だ。

そして、私にとって最悪の詩人は吉本隆明だった。
彼の三部作が面白かったので、さぞ良い、いや、面白いでも何でもいいのだけれど、何かを期待して読んだことがいけなかったのかもしれない。
しかし、現代詩というものに対する興味を、見事なほど一気に奪ってくれたことには感謝しなければいけないだろう。
そういう意味では凄い詩人であり、あれほど卓越した詩を読んだのは初めてで、最後になった。

吉本の詩を読みながら感じ続けていたのは、
「この人は詩の形にしなくて良い事を、なんでワザワザ詩にしているんだろう?」
という違和感で、私は、それが「詩」だとは未だに想えない。
ところが、何やらかんやらで斬新だったり、先鋭的だったりしてだか、とにかく凄いという評価を受けている。
彼がどういう人間かを直に知るわけもないのに失礼な話だが、決定的なまでに不信の目でしか見れなくなり、嫌な奴となったのは、それ以降のことだったと想う。
彼が詩だと言って提供してきたものを読みながら、私はまた、「信じられない、信じてはいけない人なんだ」と感じ続けていただけだった。

それが抒情詩だろうと現代詩だろうと、どんなに姿を隠しても、その人を感じてさせてしまうのが詩なんだろう。
だから詩を書く人は、それがどんなに隠れた形であろうとも、きっと見つけて欲しい人だ。
それで私は詩を書きたくないし、書かないんだろう(ただ単に書きたくても書けないだけなんだけれど)。

そして詩を書く人は、自分の命が流れ出していることを知っているように想う。
自傷行為が生きていることを確認する術のように、命が残っていることを確認する作業が詩を書くという行為なのだ。
だのに大抵の詩人はふてぶてしい政治家よろしき態なので、あんなに書き殴っても平然と生きられる。
命惜しむ人にとっては、詩を書くなど、最もどうでもいい行為だろう。

さて、寒いと、どうしてこんな悪態を書きたくなるのだろうか。
むしろ大事なのは、書きたかったのは、そのことなのだ。
少し温まってきた今、こうして後悔しているのが、その証拠だ。

そして実は、良い詩を書く人を、私は一人は知っている。
ひっそりと私だけのものにするために、誰にも言わずにいるが、一人、知っているのだ。
だから、そろそろ眠ることも出来るに違いない。

2011-12-06 02:42 : 消去一葉 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :
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悪態、大いに結構ですよ(笑)
吉本隆明は賢明なる批評家ですからねぇ、自分自身を切り刻んで表現しなければならない(というか、自分は詩人とはそういうものだと思っております)向かないというか、いや、向かないなんて記す私が傍若無人ですかね(苦笑)。
2011-12-09 20:04 : 美城丈二 URL : 編集
まっく⇒丈二さん
御返信が遅れました。
吉本隆明には吉本隆明の良さがあるんだろうと想いますんで、引き合いに出しても問題ない大御所ということで(笑)。
何と言うんでしょう、そんな言い方は何度もされてきてはいるんでしょうけれど、改めて「詩を書く」というのは「詩を読む」行為と表裏と言うか同じと言うか、うまく表現出来ないままにイラついて悪態をついたようなもんですね(吉本さん、ごめんなさい)。
結局、「あ!」というような瞬間を与えてくれるのは、本当に言葉にすると陳腐なんですけど・・・それでも「詩を読みながら、実は詩を書いている自分自身なんだな」あるいは「詩を書きながら、実は詩を読んでいる自分自身なんだろうな」というような感じでしょうか?
むしろ「自分自身」と書いてるのが何なのか?にフォーカスしたかったのですが、書けないんです。
なんとかチャレンジはしてみようかな、と想ってはいますが(笑)。
2011-12-28 00:28 : まっく URL : 編集
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