無理解という理解:美城×まっく=?

自分を分かって欲しいというのは、ほとんどの人が持つ絶望的な望みであろう。
理解を示してくれる言葉は嬉しいに違いないが、同時に、自分を自分から遠ざけてしまう誘惑でもある。

こうして駄文を書いて、それでもコメントを寄せて頂くことは、
それが大量虐殺的な敵意(?)でもなければ、どんなコメントでも、やはり嬉しいのが本音だ。

その中でも最近は、批判や無理解と言われる(想われる)コメントも、
有り難いものであることを改めて感じるようになってきた。
(もっとも、そういうコメントは少ないのだけれど)
どのように投げかけられる言葉であっても、そこには「自分」がいる。
私自身は、そのような試み自体が虚しい事を、どこかに置き忘れて、
どうしても「理解したい、しよう」としながら人と接してしまう。

しかし、どうなんだろう?
と想ってしまう。

辛い作業だし、感情を捨て去ることは、少なくともソノ場では難しいにしても、
「自分」を浮き上がらせるように見せ付けてくるのは、
振り返ると、理解ある言葉よりも無理解、批判の言葉であったように想う。

会社員時代、私は「理解してもらった」という経験を、ほとんどした記憶がない。
これは勤め人であれば、多くの人が感じることだろうけれど、
そこにあったのは、常に批判で無理解な上司であり、部下であり、時に同僚である。
当時は、単に「バカ野郎、なんで分からないんだ!」と想っていたが、
今になって振り返ると、その批判や無理解にこそ「自分」がいたように想える。
いや、自分の意識していない、あるいは見たくない自分と言ったほうが良いのだろうか?

昨日、帰郷した妹と娘も一緒に外食をした。
その場で親父の恩人見舞いの話から、若き頃の話に飛んだ。
親父は60年安保以前からの思想闘争に、いきなり放り込まれた田舎少年だ。
分からないままに「会社の犬」はお決まりの言葉ではあるが、
えげつない批判の中に居ながら何度も「やめてやる!」と想ったという。

見舞いに行った恩人の一言がなかったら、どうなっていたことか分からない、と自分でも言う。
妹曰く、ホームレスになってたかもね、だ。
「なぁ○○くん、世の中には色んな人がいるんだよ。
 それを嫌ってばかりいてもなんにもならないだろう。
 清濁併せ呑むことが大切なんだよ。」
至極、ありきたりな人生訓である。
が、その一言で勉強もし、踏ん張り続けた親父の見識の足元にも、私は立てない。

自分を押し殺す、という意味ではなく、諸々の批判・無理解を通じてこそ浮かび上がる自分。
その自分から、もう一度、相手を見る。
その繰り返しの中に生じるナニカがあることは、私は疑えない。

理解してもらえた、という嬉しさには、相応の自分に対する厳しさを必要とする気がする。



僕の言動、行動、書いた物、その全ての生産活動に及んで、僕を批判、非難するという、意識、発言。

2006-08-11 12:02 : 消去一葉 : コメント : 4 : トラックバック : 1 :
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「まっく×美城」その異文『驕りを棄てた、影絵』
 影絵とは、月夜にきらめくものである。
2006-08-11 : 21:24 : 魂暴風*a soul hurricane
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もろい、弱い、「我こそは、悲劇のヒーロー」
 TB、嬉しいです。
 僕こそは、「弱い」人間だと認識して、いままで生きてきました。つまり、それは「弱い」人間だとやはり、無意識化、「解ってほしい」という魂胆が、どこかにあったんだろうと想います。普段の僕は、かなり饒舌で10代の頃から「語り屋」で、そうして「断定論者」でした。なんでも、すぱっとこうだ、と断定しなければ先へ進めない性質で、だからこそ右往左往、流転の半人生を歩んできました。ですが、これも裏表、断定しないと、実は僕は、僕の弱気の虫が暴れだす、ということを理解していたから。僕には、二面性、三面性があり、そんな自分を上手く使い分けてるつもりだったんですが、彼女には、はっきり見透かされていましたね。ひとは恒に自分らしく、生きたいと申します。けれど、この「自分らしく」の自分は本当は願望の自分だったり、するわけです。僕の書く物は、大抵、この「自分らしく」の在り様を探るもので、構成しているつもりですので、様々な「自分」が読み手に見えて、ときに「なんじゃ!!」となってしまったりする(苦笑)。
  批判は、良いものです。無批判はいけません。この「自分らしく」をどうにでも誤魔化せますから。非難、批判、彼らは僕の疑いようの無い、「自分らしさの神」、もうすこし時間がかかるかもしれませんが、僕はもっと自分の中を探っていきたいです。           丈
2006-08-11 19:53 : 美城丈二 URL : 編集
弱くなること
丈さん、こんばんは(^^)

私の(本業?の)課題は「弱くなること」です。
人は、弱くないと「感じ取る」能力が弱ってしまうのですね。これは麻痺してしまうとも、鈍麻してしまうとも言えるかと想います。
それでも、どこかで「強くありたい」と想ってしまうのが、人の弱さの一つ。自分の弱さをトコトン認めること。その「スタート地点」は、まだまだ先です(涙)。

丈さんも、新たなる挑戦に臨まんとのこと。
楽しみに待たせて頂きたいと想っております!
2006-08-11 21:57 : まっく URL : 編集
「批判や無理解の中には、意識してない自分がいる」

勝手に纏めましたが

名言です。
2009-01-17 05:54 : 洋さん URL : 編集
Re: タイトルなし
洋さん、ご返信が遅れました。

> 「批判や無理解の中には、意識してない自分がいる」
いい言葉ですね。
この辺り、リアルに体感していかないと、私の稽古は進みません。
つまり、進んでないんですが・・・
2009-03-14 10:53 : まっく URL : 編集
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