ぼくは死にましぇ~ん!!:美城×まっく=?

流行語にもなった(記憶がぁゃしぃ)、
「ぼくは死にましぇ~ん!!」 by 「101回目のプロポーズ」

「いや、フツー死ぬだろ?それは?」
と突っ込んだ私もあなたも正しい。
そう、死ぬよね、フツーは。

でも、この世は「フツー」だけで出来てるわけじゃない。
101人が同じコトをしたら、どれ位の確立で死なずに済むか?
そんなことすら私達は知りもせずに「フツー」に判断して飛び込まない。

一徹な想いは、どこに行き場を見つけるのだろう?
それは一徹な想いの持主である本人以外に見出しようがない。
だから、武田鉄也(の演じた役)は、
「ぼくは死にましぇ~ん!!」
で良いのだ。

奇蹟は神がもたらすものという考え方もある。
しかし、私には奇蹟を起こすのは人としか想えない。
「ぼくは死にましぇ~ん!!」
と飛び込んだのは神ではないのだ(当然、髪でもない)。

奇蹟は起きる。
いつでも、今でも、毎日でも。
奇蹟が訪れた後のことは、その時に考えればいい。
ただ、私達の生活は奇蹟に支えられている。

だから私達は飛び込むのだ。
そして・・・
「ぼくは死にましぇ~ん!!」
と叫ぶかは、そのときによって違って良いと想うのだ。

さて私・・・?
私は黙って飛び込みます。

だって・・・ダンディーですからっ(爆)!!



殿、本陣がっ!!

2006-08-13 11:30 : 消去一葉 : コメント : 2 : トラックバック : 1 :
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寂しきときも哀しきときも
 ひとしきり、泣くという行為は美しい。「ひとは泣くことによって自我を知るのだ」とは、ある大家の作家のものした一節だが、ひとには、この泣くという行為と笑うという行為が残されており、他の生き物の如く、怒るという行為ばかりを演じてはいない。泣くという行為は悲し
2006-08-13 : 12:01 : 魂暴風*a soul hurricane
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「殿、本陣がっ!!」って、ダハハハ。
  丈です。止まらないですね、もう、これは。世間の大概、冷ややかな視線など普段、気にせぬ僕でも、そろそろ、その路線、小休止せねば・・・と(大汗)。
  「101回目のプロポーズ」懐かしいですね。僕も当時、当時の(!)彼女と見てました。やっぱり僕は、ああいったものには、弱い。泣きましたね。まあ、冷ややかでもよい、とは想います。ただ、僕はなにも恋に限らず、物事、普通、「運命論者」なので、大抵は「神のご宣託」なるものを感じとめてしまう方ですから、まっくさんのお書きになった、
  奇蹟は神がもたらすものという考え方もある。
  しかし、私には奇蹟を起こすのは人としか想えない。
  「ぼくは死にましぇ~ん!!」
  と飛び込んだのは神ではないのだ(当然、髪でもない)。
 という、独白には誠に勇気を頂いたようで、嬉しき限りです。
 つとめて、穏便な物言いをさせていただけるならば、「奇蹟」なるものもまた「必然」ではなかろうかと想うのです。結局、その道を作るのは「わたし」であり、「他者」ではないとも想うのです。
 僕も煩瑣なときを越え、いま、ほんに、この「わたし」の「人間力」が試されていると想います。千の夜を、僕は越えてきました。今後も奇蹟を起こすのは「他者」ではなく「わたし」だと想います。神のご宣託うんぬんにまさに逃げないように努力して、まいります。まっくさん、心より、有難うございます。あなたに、勇気を頂きました。   丈
2006-08-13 11:56 : 丈 URL : 編集
帰りました~♪
丈さん、こんにちは(^^)

いえいえ、是非、この路線を車輪止めまで・・・(違)
多分、私も丈さんと非常に近い感覚だと想います。私の人生、振り返れば直感だけで生きてきたようなものなのですが、そこに感ずるのは「偶然(奇蹟)」ではなくて、やはり「必然」なのです。
千の夜、これからは、二人の萬億の夜となりますよう、遠くから御祈念申し上げます。
2006-08-15 17:05 : まっく URL : 編集
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